冷戦を知らない世代の「社会主義」
昨夜のNHKBS番組「欲望の資本主義2022」で、経済思想家の斎藤幸平とチェコ出身の経済学者セドラチェクが対話。議論が余り嚙み合わない様子を見ていて思い出したのは、最近の日経新聞読書面で読んだ斎藤先生執筆の記事。1987年生まれの斎藤先生は、いわば「冷戦を知らない子供たち」ということになる。以下に、日経新聞2021年12月4日付記事(半歩遅れの読書術)からメモ。
「今さら、どうしてマルクスですか」。昨年に、『人新世の「資本論」』(集英社新書)を出してからも、何度この質問を受けただろうか。先日も、旧社会主義国出身の経済学者と議論した際、「ソ連の悪夢を繰り返そうなんてお前はなんて愚かなんだ」と呆れられた。
私は1987年生まれで、冷戦の記憶がない。だから、ソ連の恐ろしさは「知らない」。一方で、バブルも、高度経済成長も私にとっては歴史上の出来事にすぎない。むしろ、リアルなのは、今も広がり続ける経済格差、雇用の不安定化、環境破壊といった問題だ。そして、これこそマルクスが批判した資本主義の矛盾であった。
けれども、資本主義の矛盾の解決策が「共産主義」と言うと人々は拒絶反応を示す。私だって、ソ連は最悪だと思う。マルクスとソ連は違うはずだ。でもどう違うのか。この問いが学生時代の私を悩ませた。実は、「共産主義」が何を意味するかは、その擁護者も批判者も、曖昧なことが大半だったからである。
悩んでいた私にヒントをくれたのが、田畑稔『マルクスとアソシエーション』(新泉社)だった。実は、マルクスは「共産主義」や「社会主義」という言葉を稀にしか使っていない。将来社会を描くときは、労働者たちの「自発的結社」を意味する「アソシエーション」を一貫して用いたと田畑は言う。
田畑の本を読むと、ソ連の見方は一変する。「計画経済」という名のもとでの党や国家官僚による独占・支配は、人々の自発的結社とはかけ離れている。「国家資本主義」とでもいうべきものだ。マルクスによれば、そのような支配を打ち破った先にある富の共同管理にこそ、自由な将来社会がある。その担い手は、党や労働組合だけでなく、非政府組織(NGO)や協同組合、様々な社会運動を含む。
・・・もっと自由で楽しそうな「コミュニズム」がある、と確信した斎藤先生は、ソ連とは全く違う21世紀型のコモン社会=コミュニズムを模索する。まさに「冷戦を知らない子供たち」は、「社会主義」に先入観なく向き合えるのだが、それが良いのか悪いのか、自分には正直分からない。冷戦もソ連も記憶のある人間には、社会主義と聞けば、終わった、失敗した、ダメな思想としか思えないので・・・。アソシエーションって、柄谷行人も言ってた話だと思うけど、結局自分には何だかよく分からない。昔から人文学者系の人(今なら内田樹とか)は、「若い時にマルクスを読め」みたいなことを言うけど、何でなんだろうか。失敗したのはソ連型社会主義であり、今一度マルクスに立ち戻って社会主義の可能性を追求しよう、という話だったら、そんなことに今更付き合う気にはならないし。NHK番組では最後に、シュンペーターの「資本主義、社会主義、民主主義」の三題噺?を提示していたけど、これを改めて考えろってことなのか。このところ民主主義危うしの声も大きくなっているので、さらに国家とか市民社会とかポピュリズムも考えろなんて言われたら、もう頭グチャグチャになる~。
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