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2022年1月 3日 (月)

ベアテ・シロタと日本国憲法

昨年末の日経新聞「私の履歴書」(赤松良子・日本ユニセフ協会会長)で紹介されていたベアテ・シロタ・ゴードン(1923~2012)。5歳から15歳まで日本在住、22歳の時に連合国軍総司令部(GHQ)の職員として日本国憲法の草案作りに参加した女性である。以下に、池上彰の『世界を変えた10人の女性』(文春文庫、2016年)からメモする。

GHQの占領政策の中で、日本の民主化を主導したのは民政局です。民政局が担当したのは、公職追放、選挙制度改革、公務員制度改革、地方自治など、いわば政治機構のインフラづくりです。ベアテさんはそういう部局に配属されました。

当時民政局にいたのは、「ニューディーラー」と呼ばれる人たちでした。ニューディール政策にちなんだニューディーラーです。日本を民主的な国にしようとした民政局のスタッフは、民主党のニューディール政策、つまり「大きな政府でもいい。社会保障を充実させよう。国がさまざまな責任を持つべきだ」と考えた人たちだったということです。そういう人たちによって、戦後の日本のさまざまな仕組みができていきました。

アメリカは当然、(新しい憲法は)日本人がつくるべきものだと考えていました。それを受け、日本側は新しい憲法をつくり始めます。1946年2月1日、その試案が毎日新聞にスクープされます。それまでの明治憲法(大日本帝国憲法)とほとんど変わらず、「あまりに保守的、現状維持的」といった論評付きでした。

マッカーサーはこれを知って激怒します。日本を民主化しようとしていたのに、日本人に任せると結局たいしたものにならない。こうなったらアメリカでとにかく草案をつくってしまったほうが早いと、見切りをつけます。マッカーサーは2月3日、懐刀である民政局長に草案作成に取りかかるように命じます。局長は翌4日の月曜日朝、民政局の面々を会議室に集め、2月12日までに憲法の草案をつくるように命令を下します。会議室に呼ばれたメンバーは25人でした。七つの小委員会に分かれ、それぞれ立法、司法、行政、人権、地方行政などを担当することになりました。ベアテさんは人権に関する委員会の三人のうちの一人に任命されます。

この任務は、トップシークレットでした。憲法というのは日本人が自らつくったということにしなければいけない。ですから、彼女はこの秘密を守り、50年近く経ってから、もういいだろうというので、いろいろ話すようになり、1990年代半ばくらいから彼女の果たした役割がわかってきたということです。

・・・ベアテさんは、女性の権利や教育の自由について草案を作った。参考にしたのはワイマール憲法とソビエト憲法という。法律の専門家ではなかったので、草案にあれこれ盛り込み過ぎて、後で削られた部分も多かったとのことだが、池上本によれば、男女平等や男女同権、社会福祉や社会保障、教育を受ける権利などが、日本国憲法の中に落とし込まれた「ベアテ理念」だという。

戦後日本の国家の大本を作ったのは民主党政権下のアメリカ人、日本に縁のあるベアテさんを含む「ニューディーラー」たちだった。殆ど偶然ともいえるような出来事が後々まで影響を長く及ぼす、歴史にはそういうことがしばしば起こる。

しかし要するに、当時の日本人に、進歩的な憲法を作るセンスは無かったのだな・・・「押し付けられた」憲法などと文句は言えないわな。

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