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2021年11月20日 (土)

松尾山城に行く

今日は松尾山城に行った。自分が松尾山に上るのは14年ぶり3回目。今回は地元関ケ原町主催の「史跡ガイドウォーキング」参加である。先週、「JR東海さわやかウォーキング」で関ヶ原を歩いたので、2週続けて週末は関ヶ原に出向くことになった。というか、先週のウォーキングの際、古戦場記念館でこのイベントのチラシを見て、申し込んだ次第です。

朝9時に関ヶ原古戦場記念館集合。バスで松尾山登山口まで行き、そこから約40分の山歩き。頂上付近で主な遺構を見て回り、下山。12時過ぎに古戦場記念館に戻った。写真下は、松尾山の山頂から関ヶ原方面を望む。

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頂上には「小早川秀秋陣」の立派な説明板もある。

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このイベントは、松尾山城の散策マップ発行等に伴う企画とのこと。確かに自分も、松尾山って上ったことあるけど、「山」じゃなくて「山城」なの?って感じだったので、認識を改めた。散策マップの縄張図(例によって、中井均先生の監修)によると、主郭があって、土塁や桝形虎口があって、曲輪がいくつかあって、その他空堀、堀切、竪堀と一通り山城の遺構が確認される。単なる山じゃなくて、立派な山城だったのだなあ。

散策マップに書いてある松尾山城の歴史によると、戦国時代においては、まず浅井長政勢力の、次は織田信長勢力の城となる。しかし天正7年(1579)、廃城に(「南西の曲輪」が浅井時代の遺構とされる)。そして慶長5年(1600)8月、大垣城に西軍主力を率いる石田三成が入り、城主の伊藤盛正には松尾山の守備を命じたという。現地で盛正は新たに造成を行い、山城を復活させた。現在の遺構の大部分は、この時のものだ。しかし9月14日に小早川秀秋の軍勢が松尾山に押し寄せて城を占拠。翌15日の合戦で西軍は大敗した。二度も城を追い出された盛正。戦国最大の決戦の裏で、理不尽な目にあった脇役武将の運命に悲哀を感じる。

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