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2021年10月31日 (日)

旧国鉄篠ノ井線廃線敷

昨日30日土曜日、長野県の松本のもう少し先、明科(あかしな)まで出かけた。例によってJR東海さわやかウォーキング参加のため。目的地は、旧国鉄篠ノ井線廃線敷、いわゆる廃線跡を訪ねるってやつだ。現地ではハロウィーンイベントもあり、JR東日本の「駅からハイキング」も同時開催されていた。というか、さわやかウォーキングが越境開催されてるわけですが。

明科駅から15分程歩くと、廃線敷遊歩道入り口に到着。さらに5分程歩くと三五山(さごやま)トンネルが現れる。そこから先は、いかにも廃線跡という感じの砂利道が続く。三五山トンネルから3km程先にある漆久保トンネルまで進んだ所で折り返し、再び駅まで戻ってくるという往復8km超のコース設定。・・・なぜかしら、廃線跡は人の心を惹き付けるのだなあ。

写真は上から三五山トンネル、遊歩道、踏切の信号機、漆久保トンネル。

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2021年10月20日 (水)

秋の土用

ただ今、牛丼「松屋」が「うな丼」を販売中。10月20日と11月1日は土用丑の日、と謳うポスターを店頭に貼り出して、アピールに余念がない。

土用丑の日というと夏のイメージ。しかし土用とは季節の変わり目の期間、すなわち立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間をいう。とのことなので、実は年に4回ある。なので土用の丑の日も、各土用に1~2回、年で4~8回あることになる。松屋は春にも、土用丑の日を広告してうな丼を販売していた。で、夏は当然として、秋にもうな丼を登場させたということは、うなぎをオールシーズンの商品にする積りのように思える。(さすがに冬のうな丼販売は想像しにくいけど)

夏の土用丑の日のうなぎは本来、夏の終わりの体力が落ちてきた時に食べるものなんだろうけど、今は梅雨明けの夏真っ盛りに食べるタイミングになるので、ちょっとズレた感じになっている。土用の意味する本来の季節感、つまり季節の変わり目をより意識しながら、松屋の提案に乗って夏に限らず、うなぎを味わってみるかな。

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2021年10月17日 (日)

「リリー・マルレーン」

『地図でスッと頭に入るヨーロッパ47ヵ国』(昭文社)の中で、ユーゴスラビアの戦中戦後、解体を背景とする映画『アンダーグラウンド』について紹介されている。そこで「この映画を観る者は最後に比類なく美しいシーンに涙することになる」と評されているのが気になり、もう随分前の作品(1995年製作)で2時間半の長い映画なんだけど、先日ディスクを買って見てみた。

で、ラストシーンが比類なく美しい・・・とまでは思えず、涙することもなく、ちょっと騙された気分になった。よく分からないところもあったので、さらに倍の長さの完全版も見たのだが、やっぱりそんなに印象は変わらなかった。何というのか、シリアスになりきれなかった歴史劇なのか、抑えめのドタバタコメディなのか、苦いファンタジーなのか、どうにも中途半端感が残った。一番不可解なのは、戦争が終わった後も、マルコがクロたちを自家の広い地下室に閉じ込めて武器を作らせ続ける、その動機がよく分からなかったこと。ヨーロッパの地下に各地を結ぶ大通路があるのも、これ何なの?って感じ。

それとは別に、マルコが地下室のクロたちにまだ戦争中であると思わせるため、「リリー・マルレーン」の歌を流すところは、妙にリアルな感じがした。

ドイツの歌である「リリー・マルレーン」は、第二次世界大戦中にドイツ軍・連合軍問わず兵士たちに大人気となった。流行の始まりは、1941年4月ドイツ軍のベオグラード占領後、当地の放送局が、毎日のラジオ放送時間終了間際の夜9時57分にこの歌を流し続けたことだというから、なるほどユーゴスラビアとの縁は深い曲なのだと改めて認識した次第。

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2021年10月16日 (土)

「ルパン三世」アニメ開始50周年

昨夜、「ルパン三世」アニメ化50周年企画として、シリーズ第1作などテレビアニメ4本が放映されていた。

自分所有のDVDによると、第1作「ルパンは燃えているか」の放映日は1971年10月24日。そうですか50年前ですか。もはや大昔と言えるが、それだけの時間が経った実感があんまりない。(苦笑)

自分は当時12歳。「ルパン」には何の予備知識もなく、「ギャグマンガかな」と思いつつ見たら、全然違ってた。しかも峰不二子!何か小学6年生男子の下半身がムズムズした覚えがある。(苦笑)
確か放送時間は日曜夜7時半。当時は、家族でテレビを見る時間だった。いやもう困惑なのである。(苦笑)

ルパン50周年か・・・当時の視聴者の生き残りとしては、60周年はまあなんとか迎えたいが、70周年は少し怪しいかもな、などと思ったりする。(苦笑)

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2021年10月13日 (水)

関西弁「知らんけど」活用

関西人は、話の最後に「知らんけど」と付け足すことが多いらしい。そしてこれが今、全国的な流行りの言い方にもなっているとか。日経新聞電子版10/12発信記事(関西弁、最後に「知らんけど 笑い絡ませ表現に奥行き)からメモする。

関西の人々は実際、どれだけ「知らんけど」という言葉を使うのか。天神橋筋商店街(大阪市北区)で聞いてみた。「毎日使う」と答えたのは8割以上。60代以上は使わない人が多かったが、若い世代では大半の人が日常的に口にしているようだ。伝聞に基づく話だったり個人的な見解だったり、曖昧さを含む内容の場合に、責任回避や照れ隠しの意味合いで用いるようだ。会話の面白さを優先して持ちネタを披露し、最後に「知らんけど」とオチをつけるパターンも。相手から「知らんのかーい」とツッコミが入ることもあるという。

多分にお笑いの世界にも通じる要素を含むようだが、いわゆるバズワード(はやり言葉)化したのはいつ頃か。大阪大大学院文学研究科の金水敏教授が調べたところ、ツイッターでは2012年に「知らんけど」の用法に言及した投稿が登場。本格的に流行したのは最近3~4年だ。

「江戸(東京)は武士の社会で、責任のある言動が何よりも大事だった」。金水教授はこう指摘する一方、大阪は昔も今も商都で「相手を楽しませる会話は、新たなビジネスの創出につながる。日ごろから笑いを重視するのはそのためではないか」と語る。実際に、関西ではビジネスの場でも笑いが重視されるという。相手がつっこまずにはいられない笑い話をあえて盛り込み、取引先との距離を縮めるのも商談のテクニックなのだ。

「知らん」は語尾で意味が変わる。「知らん」は「本当に知らない」で、「知らんわ」は「私も知らない」という相づち。「知らんねん」は「知らなくて申し訳ない」という意味を含み、「知らんし」や「知らんがな」は「どうでもいい」「興味ない」。言葉の表情の豊かさに関西弁らしさが漂い、SNS上でも話題だ。

・・・いかにも関西弁らしい「知らんけど」活用。覚えておいて損はないぞ。知らんけど。

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2021年10月11日 (月)

白川郷を歩く

昨日10日の日曜日、世界遺産白川郷に出かけた。例によって、当地で「JR東海さわやかウォーキング」が開催されたことによる。知らないところに行ってみるのに、さわやかウォーキングの「案内」はとても便利だよなあと思う。

飛騨高山は結構遠い。まず高山駅まで名古屋から特急で2時間半。そこから白川郷までは高速バスで50分。今回のウォーキングコースは5㎞程度と長くはない。ので、当日朝から移動して昼頃から当地を歩くスケジュールでも良いのだが、結局前日に高山で一泊することにした。翌朝、白川郷行きバスに乗り込み、10時前には白川郷に到着。集落内外のコース歩き、状態の良い合掌造りを集めた「民家園」の散策などを含めて3時間程滞在した。

写真は、まずウォーキングコースのポイントとなっていた荻町城跡展望台、その近くの土塁と空堀跡。(山城ファン目線の写真)

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展望台付近から見た白川郷の全景。

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集落内の小振りな合掌造り。(「カワイイ」って感じ?)

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2021年10月 3日 (日)

ヒコロヒー『きれはし』

女芸人ヒコロヒーのエッセイ『きれはし』を読んでみた。なぜかしら先月の日経新聞の読書欄で取り上げられていて、ヒコロヒーその人については、「独特の世界観のコント」や「クールな言動」で注目を集めるニヒルな女芸人、みたいな感じで紹介されていたものだから、どんなもんなのかなーと興味を持った次第。

読んでみると、作者の他人及び自分自身に対する冷静な観察眼に感心する。しかし「ニヒル」というよりは、そこはかとなく切ないなー、という読後感。「コリドー」という悲恋物語?の中では、作者はネタとしてついたウソを相手にマジに受け取られて、ホントのことを言い出す勇気がなかなか出ないまま「破局」に至る。「ほれたはれた枠の勇気は一般的な数値の500000分の1しかたぶん持ち合わせて」いないと語る作者が、何だか「カワイイ」(・・・しかしこういう場合は、友だちが早めにホントのことを相手にバラしてあげなきゃいかんのじゃないのかなー)。「コリドー」以外の話で、そこはかとなく切ないなーと思った部分を以下にメモしてみる。

芸人と呼ばれている人たちが、いつ芸人と呼ばれなくなるかなど、誰にも分からない。それは芸人なんていうものに限らない事で、あなたの上司がいつ上司でなくなるとも、同僚が同僚でなくなるとも、恋人が恋人でなくなる、友人が友人でなくなるとか、そんなものはやっぱり分からないのだ。だからお客たちはいっぱいライブに来てくださいなどと言うつもりはなくて、なんというか、そういうものなのだと思う。どれだけお客たちが通い詰めてくれてそれが真から私たちの活力になろうとも、芸人たちがいくら辞めないでと切に説得しようとも、恋人に行かないでと言おうとも、友人に仲直りしようよと言おうとも、時には抗いきれない、どうにもできない、ひとつひとつの考えがあって、ひとつひとつの決断があって、ひとりひとりの人生がある。交錯できている瞬間というのは、非常に儚く、尊いものだ。私にとっては、彼女たちが芸人と呼ばれる人生を歩んでいた時間と、私が芸人と呼ばれている時間が交錯できた事は、とんでもない幸運だった。(「彼女たちについて」)

数年前から応援しだしてくれたある女の子がいる。彼女は私のネタがとても好きなのだと、たくさん言葉や、あるいは文字にして伝えてくれた。そんな彼女が最近の私の舞台を見にきてくれた際に「客席の感じが変わっていましたね」と、少しさみしそうに打ち明けてくれたことがあった。私自身が変化せずとも、渦巻く環境や、取り巻く人々というのは否が応でも変化していくのかもしれず、その変化が好みではなかった場合、ずっと応援してくれていた人たちに淋しい思いをさせてしまうこともあるのかもしれない。

もちろん私自身はずっと見たいと思って頂ける芸をやり続けようと努めているつもりだが、それとは全く関係のないところで抗えない変化は生まれる。悲観的な意味では全くなくて、いつかみんな死ぬ、くらい当然のことのように、きっとみんなおらんなる、自分も含めて、と、どこかで思い込んでいる節はある。

だからこそ一回一回の舞台や、そこに来てくれている事を、応援してくれる事を、大変有難く尊く感じているし、全部がとことん脆弱で意味不明の儚いものだという思いから、森田童子の『みんな夢でありました』をよく聴くはめになっている。現実が幻に見えてくる一曲である。(「お客」)

・・・すべては儚い。だからこそ尊い。

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