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2021年8月 9日 (月)

信長抹殺と日本史の「論理」

むずかしい天皇制』(晶文社)は、社会学者・大澤真幸と憲法学者・木村草太の対談本。織田信長は天皇からの自立を最も強く志向する武士であったがゆえに、最後は日本史に働く「論理」により排除されたという。以下にメモする。

大澤:興味深いのは、まったく正反対の力が武士において働いている、ということです。一方では、天皇的なものから自立へと向かうベクトルがあり、他方には天皇的なものへと従属するベクトルがある。
前者が、天皇からの遠心力で、後者が天皇への求心力です。織田信長は、前者が非常に強く、後者が極小化した唯一に近いケースです。
天皇のことを信長ほど蔑ろにした武士はいない。しかし、家臣の明智光秀に裏切られ、殺されてしまう。
日本史というものに内在している「論理」からすると、天皇をそこまで蔑ろにする人は排除される運命にあるのです。光秀は、天皇制とは関係ないし、個人的な動機で信長を殺していると思うけれども、ここにヘーゲルのいう「狡智なる理性」が働いているのです。歴史の理性はときどき、小物に大役を与えるんですね。

・・・大澤先生の本能寺の変に関する論考は「現代思想」誌(2020年1月号臨時増刊「総特集・明智光秀」)に掲載されている。大澤先生は、武士は「王臣子孫」と「伝統的現地豪族」の合成として平安時代に生まれた、という桃崎有一郎氏の説に依拠して、以後の武士の歴史は、都の天皇・公家への志向と、それに反する地元志向の間を運動するもの、と捉える。そして、その一方の極である天皇から自立する立ち位置を、最も強く打ち出したのが、信長ということになる。日本史のいつかの時点で、武士の側が天皇を排除することも可能だったと思われるが、結局信長が抹殺されたことで、天皇と武士の二極が存在する体制は、明治維新まで続くことになった。

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