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2021年8月14日 (土)

「無理ゲー社会」の憂鬱

無理ゲー社会』(橘玲・著、小学館新書)がアマゾンでベストセラー、リアル書店でも新書部門ランキングの上位にあるようだ。同書のエッセンスと思われる部分を拾ってメモしてみる。

私はこれまで繰り返し、「日本も世界もリベラル化している」と述べてきた。ここでいう「リベラル」は政治イデオロギーのことではなく、「自分の人生は自分で決める」「すべてのひとが〝自分らしく生きられる〟社会を目指すべきだ」という価値観のことだ。

リベラル化の潮流で「自分らしく生きられる」世界が実現すると、必然的に、次の3つの変化が起きる。これらは相互に作用しあい、その影響は増幅されていく。①世界が複雑になる ②中間共同体が解体する ③自己責任が強調される

自助・共助・公助のうち、中間共同体が担う共助がなくなれば、あとは自助と公助しか残らない。日本は1000兆円を超える借金を抱え、これ以上の公助の余地はかぎられる。そうなれば必然的に、自助(自己責任)が強調されるようになるだろう。――これが「ネオリベ化」だ。

「誰もが自分らしく生きられる社会」では、成功も失敗もすべて自己責任になる。――これが「メリトクラシー」だ。
メリトクラシーの背景には、「教育によって学力はいくらでも向上する」「努力すればどんな夢でもかなう」という信念がある。これこそが、「リベラルな社会」を成り立たせる最大の「神話」だ。

ひとびとが「自分らしく」生きたいと思い、ばらばらになっていけば、あちこちで利害が衝突し、社会はとてつもなく複雑になっていく。これによって政治は渋滞し、利害調整で行政システムが巨大化し、ひとびとを抑圧する。
すべての〝不都合な事実〟は、「リベラルな社会を目指せば目指すほど生きづらさが増していく」ことを示している。

きらびやかな世界のなかで、「社会的・経済的に成功し、評判と性愛を獲得する」という困難なゲーム(無理ゲー)を、たった一人で攻略しなければならない。これが「自分らしく生きる」リベラルな社会のルールだ。

わたしたちは「自由な人生」を求め、いつのまにか「自分らしく生きる」という呪いに囚われてしまったのだ。

・・・誰でも「自分らしく生きる」ことができる、というのはこの社会の建て前で、実際は「自分らしく生きる」ことができる者は限られている、つまり「自分らしく生きる」ことは少数者の特権である、というのが著者の認識であるらしい。

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