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2021年7月29日 (木)

クロノスとカイロス

歴史のミカタ』(祥伝社新書)は、井上章一と磯田道史の対談本。お二人は、国際日本文化研究センターという職場を同じくする上司と部下の関係。以下に、磯田先生が歴史におけるクロノスとカイロスについて語る部分からメモする。

私は、歴史には二つの時間があると考えています。ひとつは「クロノス時間」です。クロノスとはギリシア神話における「時間の神」のことで、クロノス時間は時計が時を刻むように日常の延長で等速直線運動をしています。
もうひとつが「カイロス時間」です。カイロスとはギリシア神話の「機会の神」で、彼の頭髪は前髪だけで後頭部は禿げている。カイロスはギリシア語で機会(チャンス)を意味し、通り過ぎたらうしろ髪、つまりチャンスはつかめないことを表わしています。
カイロス時間は何かのきっかけで発現する機会です。そのきっかけは戦争・災害・疾病の他に、技術発展が行き着くところまで行った時も含まれます。こういった非日常なチャンス、事変の時間がカイロス時間です。

・・・このクロノスとカイロスについては、作家の佐藤優もしばしば言及している。以下は、『ヤン・フスの宗教改革』(平凡社新書)からのメモ。

いま流れている時間がクロノスです。直線で伸びていく、単なる時間の連続です。それに対して、クロノスを切断する、この出来事の前と後では世界のあり方が変わってしまうという時間を、カイロスと言います。キリスト教徒にとって、歴史における最大のカイロスは、イエス・キリストが現れたことです。

・・・まあ単純に考えれば、歴史におけるカイロスは、「歴史を変えた大事件」ということになるんだろうし、個人レベルでも「人生を変えた大事件」がカイロスと呼べるんだろう。普通の言葉でいえばターニング・ポイントか。とはいえ震災や原発事故、パンデミックといった大事件が起こっても、それが歴史的なターニング・ポイントになるかどうかは、結局少し時間が経ってみないと分からないのだけど。

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