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2021年7月31日 (土)

ウルトラマン俳優の「役者魂」

ウルトラマン不滅の10大決戦』(集英社新書)は、マンガ家のやくみつるとライターの佐々木徹が、ウルトラマンを演じていたスーツアクター古谷敏を迎えて、ウルトラマンと怪獣の名勝負、というか格闘そのものにフォーカスしつつ語り合うという企画。格闘として見どころが多いという観点から、やくの選出した「10大決戦」は、レッドキングもバルタン星人も登場しないという、ちょっと異色のランキング。しかしこの評価を補強するかのように、古谷さんからも、ダダやケロニアという「人型怪獣」との格闘は、自分も動きやすかったし自分の出す技も見映えがしたとの感想が。特にケロニア役者さんは、受け身が素晴らしく上手だったという話も(笑)。そして深い感銘を受けるのは、対話の中から見えてくる、ウルトラマンという「役」に向き合う古谷さんの真摯な姿勢。以下に古谷さんの発言からメモする。

僕なりに顔が出なくても、ウルトラマンのスーツの中で役者魂らしきものをたぎらせていたのは本当です。全39回の戦いにおいて、怪獣が現れた、ウルトラマンが派手に登場し、パンチやキックを見舞い、最後はスペシウム光線を決め、一件落着、空に飛び立つ――と形式的に考え取り組んだことは一度もありませんでした。

戦いひとつひとつに、なぜ怪獣は現れたのか、この怪獣は単に人類を苦しめるためだけに地上に現れたのか、他に目的があるのか、だとしたら、攻撃を受け止める自分(ウルトラマン)はどのように戦えばいいのか。

他にも、強い怪獣に対し、自分はなにを信じ、なにを願いながら戦うべきなのか。また、スペシウム光線で怪獣を倒すことが本当の終焉、地球の救いとなるのだろうか――たった3分弱の戦いでしかありませんでしたけど、その3分弱に、僕は演じる者のプライドや心意気といったものを奮い立たせ、本編の脚本を踏まえた上で、もうひとつの自分だけのストーリーを作り上げてから、怪獣との戦いに臨んでいたんです。

・・・小生は、やく氏と同じ1959年生まれ。ウルトラマン放映時の自分は小学一年生、たぶん初代ウルトラマンの記憶を持つ最も若いというか幼かった世代だと思う。もう50年以上も前になるわけだが、成田亨デザインの怪獣たちにコーフンしていた記憶は鮮明である。本当にあの頃の子供番組は、大人たちが多大な情熱とアイデアを注いで作り上げてくれていたのだと、あらためて思う。感謝、感謝、感謝のほかありません。ニッポンの子供で本当に良かった。

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2021年7月30日 (金)

M・フリードマンの語る70年代ロック

雑誌「レコード・コレクターズ」8月号の特集は「70年代ハード&ヘヴィ」。アルバム(スタジオ盤のみ)100枚のランキングの他、マーティ・フリードマンのインタビュー記事もある。日本でハードロックといえば、レッド・ツェッペリンとディープ・パープルが二大バンドということになりそうだが、マーティによれば、アメリカでは事情が異なるらしい。以下にマーティの発言からメモする。

アメリカでは、ディープ・パープルが〝二大〟だったことはないんじゃないかな。僕が子供の頃は〝レッド・ツェッペリン&エアロスミス派〟と〝ブラック・サバス&キッス派〟に分かれていて、僕は〝サバス&キッス派〟でした。

・・・この組み合わせの違いというのは何だろう――前者がよりストレートなロックで、後者はキャラの演出が入っているロック? 何と言ったらいいのか分からないけど、それはともかく確かに日本でのディープ・パープル人気は格別のものらしい。昔、典型的な日本人のロックの好みはディープ・パープルとキング・クリムゾンとかいう話を聞いたことがあるし(その点は自分も典型的日本人)。さて、キッスが好きでツェッペリンやパープルには興味がないというマーティも、パープルの演奏力には圧倒された経験があるという。引き続きメモする。

ちなみに、僕にとっての最初のアリーナ・ツアーは、ハワイでディープ・パープル(再結成)の前座を務めた時でした。84年頃ですね。正直に言えば彼らに対する興味はなかったんですけど、聴いてみたら演奏が素晴らしくて衝撃を受けました。パープルは凄く大きなヴォリュームなのに、音がキレイで演奏も完璧で、これぞ〝プロ〟って感じでした。それで彼らの音楽が好きになったということはないんですけど(笑)、パープルの演奏力には憧れましたね。

・・・パープルのライブ・バンドとしての力量は、彼らのファンでなくても認めるほかない、のだなあ。大したもんだなあ。

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2021年7月29日 (木)

クロノスとカイロス

歴史のミカタ』(祥伝社新書)は、井上章一と磯田道史の対談本。お二人は、国際日本文化研究センターという職場を同じくする上司と部下の関係。以下に、磯田先生が歴史におけるクロノスとカイロスについて語る部分からメモする。

私は、歴史には二つの時間があると考えています。ひとつは「クロノス時間」です。クロノスとはギリシア神話における「時間の神」のことで、クロノス時間は時計が時を刻むように日常の延長で等速直線運動をしています。
もうひとつが「カイロス時間」です。カイロスとはギリシア神話の「機会の神」で、彼の頭髪は前髪だけで後頭部は禿げている。カイロスはギリシア語で機会(チャンス)を意味し、通り過ぎたらうしろ髪、つまりチャンスはつかめないことを表わしています。
カイロス時間は何かのきっかけで発現する機会です。そのきっかけは戦争・災害・疾病の他に、技術発展が行き着くところまで行った時も含まれます。こういった非日常なチャンス、事変の時間がカイロス時間です。

・・・このクロノスとカイロスについては、作家の佐藤優もしばしば言及している。以下は、『ヤン・フスの宗教改革』(平凡社新書)からのメモ。

いま流れている時間がクロノスです。直線で伸びていく、単なる時間の連続です。それに対して、クロノスを切断する、この出来事の前と後では世界のあり方が変わってしまうという時間を、カイロスと言います。キリスト教徒にとって、歴史における最大のカイロスは、イエス・キリストが現れたことです。

・・・まあ単純に考えれば、歴史におけるカイロスは、「歴史を変えた大事件」ということになるんだろうし、個人レベルでも「人生を変えた大事件」がカイロスと呼べるんだろう。普通の言葉でいえばターニング・ポイントか。とはいえ震災や原発事故、パンデミックといった大事件が起こっても、それが歴史的なターニング・ポイントになるかどうかは、結局少し時間が経ってみないと分からないのだけど。

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