南海会社、世界初の「株式バブル」
17世紀オランダのチューリップ投機が世界初の心理的バブル現象ならば、18世紀イギリスで起きた「南海泡沫事件」はまさに世界初の「株式バブル」だった。以下に、南海泡沫事件について解説した、「日経ビジネス」電子版6月17日付、大崎匠・Bagel X代表取締役の執筆記事からメモする。
英国政府によって1711年に設立された南海会社は、東インド会社と同じような貿易を目的としており、特に南米との奴隷貿易を独占することを意図して創業された。しかし、この官製企業は、実際に貿易事業を営むことはあまりなく、政府債務の金利を投資家に支払うための中継企業として機能していた。
度重なる戦争によって政府債務が膨らんだ英国政府の依頼を受け、南海会社は、既発行の政府債務全てを株式に交換する案を提案した。いわゆる、デットエクイティスワップである。英国政府は、南海会社の提案を採用し、3200万ポンドもの英国政府債務と南海会社の株式を交換することを決定した。
こうしたスワップスキームを維持させるためには、南海会社の株価を高値で維持、ないしは上昇させる必要があった。そのため、南海会社が株式を新規発行する際には、投資家に対して分割払いや借り入れ(レバレッジ)などの支払いオプションを提供した。そして、50%もの非常に高い配当を10年間払い続けることまでも保証したのだ。こうした策が功を奏し、南海会社の株価は短期間で高騰した。スワップスキーム導入前の1720年1月に125ポンドであった株価は、わずか半年後の7月時点で950ポンドまで高騰した。
第二の南海会社を目指し、投資家から資金を集めるだけの実体のない企業が乱立した。1719年から1720年のわずか1年間でおよそ190社が無許可で設立、資金を集め終わると経営者は会社を畳んで行方をくらました。設立された約190社のうち、1年後も存続していた企業はわずか4社であったという。人々は、こうした泡のように消えゆく企業をいつしか「泡沫企業」と呼ぶようになった。これこそ「バブル」という言葉の起源であった。
バブル形成の背景でもあった、無許可で設立された企業の乱立を規制する「泡沫(会社)禁止法」が1720年6月に議会で成立したことを契機に、膨張したバブルはわずか数カ月であっけなく破裂した。同年12月には、1株わずか185ポンドまで急落したのだ。これこそが人々が人類史上初めて「株式バブルがはじけた」と認識した瞬間だった。
・・・晩年のニュートンも、巨額の資金を南海会社の株式につぎ込み、2万ポンドの損失を被ったそうな。いろいろな意味で歴史的な事件なのであった。
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