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2021年6月 5日 (土)

厄介な「優生学的」思想

生物学者の池田清彦は、近著『「現代優生学」の脅威』(インターナショナル新書)の中で、「明らかに優生学的な傾向をもつ考えが、現在さまざまな領域で顕現」しつつあるとして、そのような考えを「現代優生学」と呼び、警鐘を鳴らしている。以下に同書からメモする。

現代優生学の特徴を一言で表せば「社会にとって有益でない人間の生存コストを、社会全体で担うべきではない」というものです。この考え方をもう一歩押し進めれば、「社会にとって無益な人間の遺伝子は残してはならない」「無益な人間は社会から隔離し、場合によっては生命を絶つべきだ」という価値観につながります。
かつては、実際にこのような価値観に基づく優生政策が行われていました。そうした政策の根拠となった思想は、「消極的優生学」と呼ばれるものです。

優生学には、「消極的優生学」と「積極的優生学」の二種類があります。消極的優生学とは、「望ましくない形質または遺伝的欠陥を伝達しそうな人びとの生殖を規制しよう」という考え方です。ナチスによる障害者・ユダヤ人の虐殺や、日本でのハンセン病患者への隔離・断酒政策は消極的優生学そのものでした。
一方、積極的優生学は「すでに生まれた人間ではなく、生まれる前の段階でなんらかの操作を加え、優秀とみなされる資質を備えた人間を多く生むようにする」という考え方です。

多くの人は、ナチスの事例を「特殊な時代に行われた、極端な出来事」と思うかもしれません。しかし、優生政策はドイツだけでなく、イギリスやアメリカ、そして日本でも行われてきました。国家や社会は、常に優生政策の誘惑にさらされる危険性があります。世界的な少子高齢化と財政基盤の脆弱化のなか、新自由主義的な政策で弱者を切り捨てたり、ときには相模原市の殺傷事件のように抹殺を試みたりする者が現れるのは、消極的優生学の現代的な顕現といえるでしょう。

現代優生学は優秀な遺伝子を増やし、劣悪な遺伝子を淘汰するという、旧来の優生学から離れて、「生産性のない人間を直接淘汰する」という、より過激なほうへと向かっているように感じられます。

・・・相模原事件の犯人の「思想」についても、池田先生は、過去の優生学から直接的に生まれたものではないとしても、今の社会全体に漂う「生命を有用と無用とに峻別するような倫理観」が特異的に濃縮されたものではないか、との見方を示している。

確かに自分も、犯人の語る「思想」は、自身の行為を正当化し「大義」があるかのように見せるために、後付けしたような話でしかない、とは思う。しかし困るのは、犯人のよりストレートな「障害者は不幸を作ることしかできません」という言葉を、明確に否定できない自分がいる、ということだ。もちろん、だから殺害する、というのは飛躍があると思う・・・にしても、どうにもいたたまれない気分になる。困った。

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