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2021年5月15日 (土)

丸子城へ行く

今日は静岡県にある丸子城(まりこじょう)を訪ねた。移動の制限というか自粛というか、いろいろ動きにくい御時世ではあるが、今年は梅雨入りが早いとの話もあり、やっぱり気候のいい今のうちにお出かけしたいよなあ。(言いわけ?)

静岡駅北口バス乗り場7番から藤枝駅行バスに乗りおよそ30分、「吐月峰駿府宿入口」で下車。そこから5分程歩いたところに登山口がある。細い道は階段状に設えてはあるが結構急な上りになる。城の入り口に着くまで15~20分程度なので、そんなに長い時間はかからないにしても、なるほど山城は体を使わないと辿り着かないのだと実感する・・・のはいつものこと。

写真は上から、北曲輪、堀切(二の曲輪と本曲輪の間)、本曲輪(本丸)、本曲輪の案内板。


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『戦国の山城を極める』(学研プラス、2019年発行)では、丸子城について加藤理文先生が解説。城が今の形になった時期について、以下のような説明がある。

丸子城は、武田系山城の水準の高さを示す好例である。武田氏の後、城の支配者は徳川氏に移るが、武田時代から徳川時代を通じて、駿府へ至る街道を押さえる役割を担っていたことは間違いない。
羽柴秀吉と並ぶ実力を保持した徳川家康は、上方からの侵入を想定し、領内の街道筋の諸城の整備改修を進めた。丸子城の改修も、駿府城の西側防備の要として実施されたのである。改修年代は、家康が豊臣支配下に入る以前、天正10年から14年(1582~86)までのことになると考えられる。

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