« 丸子城へ行く | トップページ | バブル崩壊のトラウマの無い世代 »

2021年5月19日 (水)

西洋と東洋、敵対か共存か

西洋(欧州)と東洋(中東)の関係、それは敵対の歴史か共存の歴史か。本日付日経新聞の経済教室「共生へ相互依存 再認識を」(ヤーッコ・ハメーンアンッティラ教授)からメモする。

欧州、キリスト教、西洋。対して中東、イスラム教、東洋。これまで西洋人は、西洋は東洋と異なると信じることで自らを定義してきた。イスラム側も同様だ。
西洋と東洋は、互いに敵意を抱いてきたという根深い信念を持つ。なぜなら自分ではなく相手が攻撃的だからだ。こうした見方には欠陥がある。地中海周辺の文明を形成してきた平和的な交流の大きさと深みを軽視していることだ。

地中海周辺の文化を千年単位で眺めると、相互に依存する文化圏という全く異なる姿が浮かび上がる。
大まかに述べると、地中海文明は紀元前3000年ごろ、メソポタミアとエジプトで始まった。紀元前6世紀になると、メソポタミアとエジプトの文明は停滞期に入り新たな民族が台頭した。ギリシャで驚異的な文化が発展し始めたのも、ギリシャ人がメソポタミアとエジプトから刺激を受けたからだ。
ギリシャ文化は1000年以上にわたり地中海文化の主役であり続けた。次の文化的な変化が起きたのは7世紀の第2四半期以降、アラブ人がおよそ100年の間にインド北部からスペインまでの国々を征服したときだ。

アラブとペルシャの学者は、ギリシャの哲学・科学文献をアラビア語に翻訳した。アリストテレス、ガレノス、プトレマイオス、ヒポクラテスは、アラブ・イスラム文化の驚異的な発展を後押ししたのだ。およそ850年から1250年にかけてアラブ・イスラムの科学は栄華を誇り、様々な地域に多大な影響を及ぼした。

西欧がこの科学の恩恵を受けるようになったのは、特に1100年以降のことだ。アラビア語文献のラテン語や現地語への翻訳が、トレドをはじめとするスペインや、後には欧州の他の地域の学者により進められた。アラビア語の文献の一部はギリシャ語から翻訳されたものだったが、欧州に帰ってきたのはギリシャの科学だけではなかった。
アラブ人が欧州に伝えたアラビア数字と製紙技術という画期的なイノベーション(技術革新)がなければ、ルネサンスは実現しなかっただろう。

・・・このような歴史の流れを踏まえて、教授は「西洋と東洋の共生こそが、われわれの語るべき大きな物語だろう。俯瞰的にみれば、大きな物語を支配するのは平和と相互依存であり、戦争と敵意は例外的な出来事にすぎない」と述べる。

自分的には教授の考えに異存はない・・・のだが、東洋の端っこ、極東の日本から見れば西洋も中東も同じ一神教文明で、どっちも攻撃的に見える。(苦笑)

|

« 丸子城へ行く | トップページ | バブル崩壊のトラウマの無い世代 »