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2021年4月29日 (木)

明智光秀の丹波攻略

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先日、黒井城を訪ねた帰り道、福知山城(写真)にも立ち寄った。城内には、明智光秀以来の歴代城主などの展示説明がある。当然ながら明智光秀の丹波攻略についても解説されている。自分も『明智光秀と近江・丹波』(福島克彦・著、サンライズ出版)などを参照しながら、以下に簡単にまとめてみる。

天正3年(1575)6月、織田信長が明智光秀に丹波攻略を命じる。同年12月、光秀は荻野直正の黒井城を攻める。直正は赤井氏の出身。当時、赤井氏と荻野氏は連携して勢力を広げていた。年が明けた天正4年(1576)正月、波多野秀治の裏切りにより光秀は大敗、撤退した(第一次丹波攻略の失敗)。一方、同年3月に荻野直正が病死。
天正5年(1577)秋から丹波攻略再開。天正6年(1578)9月、波多野氏の八上城を包囲し兵糧攻めにする。天正7年(1579)6月、八上城落城。波多野秀治は兄弟と共に処刑された。同年8月、黒井城を攻撃、落城。(第二次丹波攻略完了)

この間、光秀は本願寺攻めや荒木村重討伐にも加わりながら、4年がかりで丹波平定を成し遂げた。光秀の武功は、信長からも「天下に面目をほどこした」と賞賛された。

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