« 2021年3月 | トップページ | 2021年5月 »

2021年4月29日 (木)

明智光秀の丹波攻略

Photo_20210429140901

先日、黒井城を訪ねた帰り道、福知山城(写真)にも立ち寄った。城内には、明智光秀以来の歴代城主などの展示説明がある。当然ながら明智光秀の丹波攻略についても解説されている。自分も『明智光秀と近江・丹波』(福島克彦・著、サンライズ出版)などを参照しながら、以下に簡単にまとめてみる。

天正3年(1575)6月、織田信長が明智光秀に丹波攻略を命じる。同年12月、光秀は荻野直正の黒井城を攻める。直正は赤井氏の出身。当時、赤井氏と荻野氏は連携して勢力を広げていた。年が明けた天正4年(1576)正月、波多野秀治の裏切りにより光秀は大敗、撤退した(第一次丹波攻略の失敗)。一方、同年3月に荻野直正が病死。
天正5年(1577)秋から丹波攻略再開。天正6年(1578)9月、波多野氏の八上城を包囲し兵糧攻めにする。天正7年(1579)6月、八上城落城。波多野秀治は兄弟と共に処刑された。同年8月、黒井城を攻撃、落城。(第二次丹波攻略完了)

この間、光秀は本願寺攻めや荒木村重討伐にも加わりながら、4年がかりで丹波平定を成し遂げた。光秀の武功は、信長からも「天下に面目をほどこした」と賞賛された。

|

2021年4月26日 (月)

春日局と天然痘

春日局といえば徳川家光の乳母として知られる。彼女が将軍家の乳母になれたそのワケは・・・『新型コロナ、本当のところどれだけ問題なのか』(木村盛世・著、飛鳥新社)からメモ。

春日局は竹千代(のちの徳川家光)の乳母でした。彼女がなぜ乳母として採用されたかというと、顔にあばたがあったからと言われています。あばたとは天然痘にかかって発疹ができ、それが治った証です。天然痘は15世紀に世界で大流行を起こし、日本では痘瘡(もがさ)と呼ばれ、恐れられました。

天然痘は体中に発疹ができます。治った後は、乾いた発疹がみにくいあばたとなって残ります。天然痘に一度かかると生涯天然痘にはかからないことがわかっています。これを終生免疫と呼びます。麻疹なども終生免疫を得るウイルス感染症です。終生免疫があるということは、二度とその感染症にかからない、人にうつすことはない、ということです。当時流行していた極めて致死性の高い感染症から、お世継ぎを守るということは、国家の存亡にかかわる大事でした。

それゆえ、竹千代にその病気をうつすことのない乳母として、春日局が抜擢されたわけです。

・・・ニュースバラエティ番組のコメンテーターとしても活躍中のモリヨ先生は、「このやり方を、新型コロナウイルスの高齢者対応に活かせばよい」という。つまり既にコロナに感染済みの人たちが、高齢者の身近にいて支えるというやり方。先生はこれを「春日局作戦」と名付けているが、とりあえず歴史の本じゃない本で、春日局のエピソードが出てくるのは面白く感じたわけです。

|

2021年4月25日 (日)

黒井城に行く

昨日24日、黒井城を訪ねた。明智光秀の丹波攻略の激戦地である。自分の旅は列車の旅。名古屋から新幹線で京都、京都から山陰本線の特急で福知山、そこから福知山線に乗り換えて3つ目の駅が目的地の黒井。

黒井駅前から見える山の天辺に石垣。あれかぁ、けっこう高いところにあるなぁと思いつつ、駅から山を目指して歩くこと約15分。小学校の脇の道を上っていくと登城口に着く。登山コースは「ゆるやか」と「急坂」と2つある。シニアの自分はおとなしく「ゆるやか」を選んだ・・・んだけど、所々割と急なところもあって、少々しんどかった。適当に休憩しながら登ること50分くらいで、主郭部の入り口に到着。「東曲輪跡」の石垣が出迎えてくれる。
写真は上から東曲輪跡の石垣、本丸周辺の石垣(2枚)、駅前から見た黒井城。

Photo_20210425205601
Photo_20210425210601
Photo_20210425205701
Photo_20210425205801

光秀の丹波攻略完了後、黒井城には明智家の重臣、斎藤利三が入った。当地で生まれた利三の娘・お福は、のちに徳川家光の乳母・春日局となる。駅前にはお福の像が立つ。

Photo_20210425224601

|

2021年4月11日 (日)

今城、久々利城、美濃金山城

昨日10日、旅行社のツアーを利用して、名古屋から日帰りで岐阜県可児市の山城巡りに出かけた。可児は2019年の山城サミット大会開催地。山城の調査研究や整備に熱心に取り組んでいる。今回のツアーで回ったのは今、久々利、美濃金山、あとオマケ的に明智(長山)を加えた4城。城郭研究者の加藤理文氏が同行。やっぱり解説付きは有難いです。写真はまず今城(本丸の土塁)。

Photo_20210411162401

今城は、もともと地元豪族の小池氏が築いた城だったが、美濃金山城の城主となった森氏が改修を施して支城にしたと考えられている。全体はごく小規模ながら桝形虎口、切岸、土塁等を備えて、戦国の城の基本的なパーツは揃っている、まさに戦国山城の入門的なお城。次の写真は久々利城。

Photo_20210411162402

久々利氏は土岐氏の一族ながら詳細は不明。写真の右上に見えるのが本丸だが、本丸の向こうのさらに高い場所に小さい曲輪がある。地形上の都合らしいが、本丸が一番高い場所に無いことが、この城の特長。次の写真は美濃金山城。

Photo_20210411162501

美濃金山城を最初に築いた斎藤大納言妙春は、久々利氏に暗殺された。その後1565年、織田信長の家臣、森可成が城主に。以後長可、乱丸、忠政が城主になったが、1601年頃城は破却された。城内には石垣破壊の跡があちこちに残る。それはそれで廃墟感が増して味わい深い。

最後は明智城(市指定史跡名称「長山城」)に行きましたが、ここは戦うための城ではないらしいので、他の3城に比べれば見どころは乏しいです。

|

« 2021年3月 | トップページ | 2021年5月 »