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2021年3月27日 (土)

鳥羽城に行く

今日は、鳥羽城を訪ねた。亀山、津、松坂、伊勢上野そして鳥羽、これで三重県5城巡り(スタンプラリー)は完結。

鳥羽は5城の中で、名古屋から一番遠方だと思われるが、電車(JR利用)だと一本で行けるので、行き方としては簡単。名古屋から快速電車に2時間乗れば終点の鳥羽駅。お城は駅から10分程歩いたところにある。

築城主は九鬼嘉隆。戦国時代、織田信長や豊臣秀吉の下で嘉隆率いる九鬼水軍は大活躍、その名を轟かせた。鳥羽城も当時は四方を海に囲まれた「海城」だったと伝わる。
写真は上から三の丸広場、本丸石垣、本丸からの眺め。お城の向かいには鳥羽水族館がある。奥に見える島は、手前がミキモト真珠島、中央が答志島。

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関ヶ原の戦いでは嘉隆は西軍、息子の守隆は東軍と、父子が敵味方に分かれ鳥羽城を巡って戦った。関ヶ原本戦の結果は西軍敗北となり、嘉隆は答志島に逃れる。守隆は父の助命を訴えて認められたが、その知らせが伝わる前に嘉隆は自害した。享年59歳。

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2021年3月25日 (木)

アニマル・スピリッツ!

本日付日経新聞市況欄コラム「大機小機」(出でよ熱気ある起業家)からメモする。

英経済学者ケインズは80年前「将来の長期間を要するような、積極的なことをしようとするわれわれの決意の大部分は、血気の結果としてのみ行われる」(「雇用・利子および貨幣の一般理論」塩野谷祐一訳)と述べている。
ここでいう血気は原文では animal spirits で、将来の利益の数学的期待値(予測)ではなく、人間本来の楽観に基づく行動だ、とケインズは説明する。そして血気が鈍り、自生的楽観がくじけると、企業は衰え、死滅する、と明言している。

・・・冷静な計算だけでは何も生まれない。とりあえず楽観すること。そして強い信念を持つこと。普通に考えれば、過信は戒められるものでしかないだろう。しかしながら自分を過信することなしに、リスクを取ろうとしても取れるはずもない。まずはおのれを過信せよ。そこからすべては始まる。

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2021年3月24日 (水)

グローバル化で革新の楽観は消滅

冷戦後のグローバル化の進展に伴い、先進国の指導者層は左派右派問わず競争的な経済政策を導入。この結果、革新勢力も保守勢力も変質した。『日本の分断』(三浦瑠璃・著、文春新書)「第6章 保守と革新の分断を探る」からメモする。

冷戦が崩壊し、社会主義的な経済モデルが挫折すると、各国の左派政党は、それまでの左派勢力とは一線を画した競争政策を導入した。いわゆる改革派左派の登場である。しかし、瓦解した旧東側陣営が西側の経済と接続してグローバル化が加速すると、しだいに先進国内の格差は拡大していく。世代間の不公平や、既得権と新参者とのあいだの不平等が固定化する。もはやこれ以上グローバル化しても未来が明るく見えないように感じられ、(改革派の抱いていた)進歩そのものに対する楽観が損なわれてしまった。

他方で、保守の側もグローバリゼーションで問題を抱えこむことになった。80年代から経済競争に勝ち抜くためにとってきた競争政策が、彼らのよって立つ保守的な価値観と摩擦を起こし始めたからだ。彼らはグローバリズムとナショナリズムの相克に直面する。

革新はこう改革すれば進歩するという仮説に強い自信を持っている。保守が頼る歴史は、比較的安定した参照地点となっているのに比べ、理論の正しさがひとたび揺らいでしまった時の革新の動揺は激しい。合理主義的な進歩の思想を捨て、心情的な理想主義をとってシングル・イシューで激しい異議申し立てを繰り広げるようになる(絶望的世界観、「人間が自然を破壊してしまう」「強欲資本主義が世界を滅ぼす」など)。
(市場の選択と技術革新の可能性に期待を寄せる)保守の楽観主義は、革新が描く「暗い明日」よりも、進歩をさほど望まなくなった大衆の支持を得やすい。

成長を支持し合理主義的アプローチをとる革新勢力が悲観的で大衆動員型の勢力に道を譲るようになると、左派ポピュリズムが台頭する。将来の収入増と社会的上昇の期待を持てなくなった人びとが、反資本主義的感情を代弁してくれる政治勢力として支持するからだ。

・・・あえて単純化すれば、グローバル資本主義の「グローバル」に抵抗するのが保守のナショナリズム、「資本主義」に異議を唱えるのが革新の進歩主義又は理想主義ということだろう。現状、先進国では左派ポピュリズムも右派ポピュリズムも一定の支持を集めている。しかし日本はこの構図とは無縁だ。なぜなら三浦先生の分析によれば、日本の政治的な左右対立を規定しているのは日本独自の問題、すなわち護憲VS改憲と日米同盟(安保体制)の是非だからだ。つまり日本はいまだに「戦後」を引き摺っている、としか言いようがない。

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2021年3月14日 (日)

伊賀上野城に行く

今日は、三重県5城巡りの第2回目を実行。最初に松坂、津、亀山の3城を一日で回った後に続く、4つめの目的地として、伊賀上野城を選んだ。

自分は基本、電車利用の旅なのだが、伊賀上野城は最寄りの駅まで何度か乗り換えが必要なので、先に考えておかないといけない。ということで選択したルートは、行きはJRで名古屋から亀山、亀山から伊賀上野、そこから伊賀鉄道で伊賀上野から上野市駅。乗り換えはあるが、とにかく駅まで来れば、お城は駅前にあるので容易にたどり着ける。帰りは伊賀鉄道で上野市から伊賀神戸、そこから近鉄で伊賀神戸から伊勢中川、伊勢中川から名古屋に至るというコース。

伊賀上野城は慶長13年(1608)、藤堂高虎が城主となって大拡張工事を実施。本丸を高さ30メートルの「超」高石垣で囲んだ。一方、当時の天守は工事中に暴風雨で倒壊。その後長らく天守は築かれなかったが、昭和10年(1935)に地元の名士が私財を投じて新たに建てられたとのこと。

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ところで伊賀は言うまでもなく忍者の里ですが、個人的にはあんまり興味がないので、今回は関係施設はスルーでした。

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2021年3月11日 (木)

大河ドラマ、90年代に「商品化」

大河ドラマの黄金時代』(春日太一・著、NHK出版新書)は、1963年のNHK大河ドラマ第1作『花の生涯』から91年の『太平記』まで、制作の舞台裏を多くの関係者の証言により描き出す。同書のエピローグから以下にメモする。

NHKは1985年、新たに100パーセント出資による外郭の株式会社・NHKエンタープライズを設立、ここに制作を外注することで「番組の商品化」を図ろうとします。そして、89年にNHKの会長となった島桂次は『太平記』の放送途中に大河ドラマをNHKエンタープライズの制作にすることを決定しました。

大きな変化が訪れるのは93年です。「一年に一作」という放送形態の変更です。そして、結果的にこの変革は失敗に終わります。大河ドラマは95年の『八代将軍 吉宗』で再び本体制作に戻り、編成も「一年に一作」の従来どおりに回帰、以後それが現在まで続きます。
ただ、この時も島の敷いた路線が一つ残ることになります。それは「作品の商品化」です。NHKのドラマの代表は大河ドラマ。これをコンテンツとして利用し、もっと国際的に売ったり、メディアミックスを図る。「その利益の一部をNHK本体に還元し、受信料を節約する」――それが島の狙いでした。

島の敷いた基本方針以降、物語の舞台となる県や市、撮影が行われる自治体、そこに関連する企業と、大河ドラマ作品を結びつけたビジネスが本格化していきました。
つまり、大河ドラマは単なる「作品」としてだけではなく「商品」としての側面も意識されるようになったということです。そうなると、大河ドラマはNHKの組織や外郭企業も含めた全体の命運を握る、大プロジェクトになります。かつてのように個々のプロデューサーやディレクターの「これを題材に作りたい」という想いだけで企画が決まるという規模ではなくなってしまったのです。

・・・上記のような認識から、著者は『太平記』までを、大河ドラマが「作品」であった時代、すなわち「黄金時代」としているわけだ。

思うに、「作品」から「商品」への変化、あるいは「作品」における「商品」的側面の肥大化は、大河ドラマに限らず、資本主義社会における殆どの文化的活動に避けられない運命かもしれない。マンガでもアニメでも、特撮映画でも、ロック音楽でも、やっぱり勃興期から発展期における「作品」に面白いものが多いと思う。しかし、その後ジャンルとして確立し「商品化」されると、つまらないものが多くなってくるという感じだ。

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2021年3月10日 (水)

アメリカ、「社会民主主義」を志向

コロナ禍でアメリカは大きく変わった。政府による介入を渇望するようになったのだ――本日付日経新聞掲載のフィナンシャルタイムズ記事「国の介入歓迎する米国」から、以下にメモする。

バイデン米大統領の経済対策法案「米国救済計画」に対する支持の強さは、歴史的といっても過言ではない。
世論調査によると、法案は76%の米国人が支持しており、しかも民主党、共和党のいずれでも賛成派が多数を占める。

パンデミックは、裏付ける証拠が断片的にしかなかったある潮流を浮き彫りにした。米国は今世紀のどこかの段階で、福祉国家を目指すとまでは言わないとしても、国民が緩やかに社会民主主義を志向するようになったのだ。

米国はパンデミックによって社会民主主義を望むようになったわけではない。今や有権者層の最大セグメントになり、資本主義に幻滅してきたミレニアル世代(1981~96年生まれ)は常に志向してきた。10年の医療保険制度改革法(オバマケア)成立の頃にもそうした傾向はみられた。同法は導入当初は不人気だったが、10年代が終わる頃には、法に手を加えることのほうが不人気になっていた。
コロナ禍のこの一年間で、そうした数十年間のトレンドの積み重ねが露呈した。その結果、米国は自由市場を尊ぶ伝説の異端児ではなく、国の介入については、平均的な経済開発協力機構(OECD)加盟国のようにみえる国へと変貌を遂げた。

パンデミックが米国をどう変えるかについては、多くの人が今後持論を展開するだろう。一方で、実際どうなったかという問いに対する答えは簡単で、同時に衝撃的でもある。政府介入を嫌う国、という神話が過去一年間消え去り、それとともに、ある種の米国例外主義も消え去ったのだ。

・・・2008年の世界的金融危機から10年以上が過ぎ、「新自由主義」の総本山だったアメリカも、「社会民主主義」的な方向に舵を切ったことが明らかになりつつあるようだ。

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2021年3月 7日 (日)

松坂城、津城、亀山城

先日、関宿に行った時、関駅の観光案内所で目に付いたのが、三重県の城巡りのパンフレット。伊賀上野・伊勢亀山・津・松坂・鳥羽の5城でスタンプラリー開催中と知り、やってみるかあという気になった。

ということで昨日6日土曜日、朝起きたら意外と天気が良く、気温も高めの予報だったので急遽出陣を決意。まずは名古屋から比較的近場の亀山、津、松坂の各城を一気に回るつもりで出発した。
自分は電車を使うので、こういう周遊の時に便利なJR東海「青空フリーパス」2620円を購入し、さてどういう順番で行こうかと少々迷ったが、ひと駅乗り換えのある津城を最初の訪問地に選択。名古屋からJRで津駅に行き、近鉄に乗り換えて津新町駅へ。そこから15分程歩き、大体11時頃お城に到着。公園化されている城跡を見て回り、JR津駅に戻る。12時30分頃の電車に乗り、1時前に松阪駅到着。徒歩20分程で松坂城に着く。自分的には2度目の訪問。15年くらい前、やはり名古屋に住んでた時にJRさわやかウォーキングで来た。その時も思ったけど、やっぱり石垣がすごい。駅に戻り2時30分頃の電車に乗り亀山へ。途中津駅での長めの停車時間も含めて1時間15分程かかって亀山駅に到着。10分程歩いて大体4時頃亀山城に着く。ここも以前、JRさわやかウォーキングで来た覚えがある。天気も曇に変わり寒くなっていたので、見どころの多門櫓の写真を撮り、そそくさと撤収し駅に戻った。ということで少々駆け足だったが、三重県城巡り第1回目終了。残りの伊賀、鳥羽は遠いので一個ずつ行くつもり。
(写真上は津城。写真中は松坂城の本丸石垣、角部分は算木積みで江戸時代に改修された部分かと。写真下は亀山城の多門櫓)

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2021年3月 3日 (水)

定年後は「一兵卒」の心構えで

今野浩一郎・学習院大学名誉教授は、「生涯現役で働くことを考えるなら、ピークアウトという発想が重要だ」と強調する。日経新聞電子版の本日発信、今野教授のインタビュー記事(もともとは日経ビジネス記事)から、以下にメモする。

「某大手企業の部長だった私の友人が、定年後にあるベンチャーに移ったんですが、絶対マネジャーはやりたくないと言って、ヒラで働いていた。上司は20代後半か30歳ぐらいでしたが、彼が言うわけです。『今の働き方は楽でいい。部下の評価もしなくていいし、部門の成果責任を負わなくてもいい』って。そういう気持ちの切り替えをして、一兵卒で頑張ればいい。それができるかどうかですね」
「長く働き続けるにはどこかでピークアウトしなければいけない。生涯現役というのは、そういう働き方をしなければいけないんですよね」
「降りていくのには勇気がいる。人間いつまでもできると思いがちです。何か外的なきっかけを加えた方が降りる決断がしやすい。それが定年制だと最近、思っているんです」
「(定年を)節目にしてキャリアをもう一度転換しようということです」
「一兵卒に戻って、若い人間の下で働くのも別に構わない。長く働くというのはそういうことだ。こういう価値観というか文化をつくる必要があるんでしょうね」
「ピークアウトがあって、一兵卒になってもそれなりに頑張って働いて、徐々に引退に向かっていく。そんな世界にも例のない社会システムを、高齢化が最も進んだ日本で構築できれば、立派なことなんじゃないかと思っています」

・・・自分のことを言えば、もとからマネジャーつまり管理職になったことはないから、定年しても意識の落差というのは余り感じることなく働き続けているところです。(苦笑)
「一兵卒」と聞いて自分が思い出すのは、政治家の小沢一郎。小沢がしばしば使っていた「一兵卒として汗をかく」みたいな言い方は嫌いじゃない。というか、まさに定年後は、基本的にそういう意識で働くのがいいんだろうと思う。

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2021年3月 2日 (火)

ドリアは日本で発案

ドリアって日本で考え出されたのか!日経電子版2/28発信記事「ドリアは日本発」を読んで知る驚きの事実。言われてみれば、ごはんの料理ではあるけれど・・・よもやよもやの日本生まれとは。同記事から以下にメモ。

ドリアはファミリーレストランでも人気のメニューであり、西洋の料理のようにも思えるが、実は日本生まれ。

これが誕生したのは横浜市にある老舗のホテルだ。
「ドリアはホテルニューグランド発祥のメニューでございます。誕生した年度は定かではございません。開業が1927年で、1935年のメニューには記載がございますので、おそらく1930年ごろではないかと推測しております」(ホテルニューグランド営業企画部)

生みの親は初代総料理長のサリー・ワイル氏。同ホテル開業時にパリから招へいされたスイス人シェフで、フランス料理が専門だが、普段から国籍も多様な客からのリクエストに応え、さまざまな料理を作っては提供していたそうだ。あるとき、外国人客からの「体調が良くないので、のど越しの良いものを」との要望を受け、即興で作ったものがドリア。バターライスにエビのクリーム煮をのせ、グラタンソースにチーズをかけてオーブンで焼いたものだった。これが好評を博し、ホテルのレギュラーメニューに。さらにワイル氏の弟子たちによってほかのホテルや街の洋食店でも提供されるようになり、全国に広まっていった。今ではファミレスやコンビニ弁当のメニューにもなるほど一般的なメニューである。この「元祖ドリア」、今でもホテルニューグランドで当時のままの味をいただける。

・・・ごはんの国ニッポンでスイス人シェフが発明したドリア。食の和洋折衷と思えば、カレーライスに近いかも。「洋食」という名の日本食、その革新性に改めて感心してしまう。
記事によれば、レストランチェーン「サイゼリヤ」の提供する「ミラノ風ドリア」も、お店の「賄い料理」が1983年にメニュー化されたものだという。なのでミラノにミラノ風ドリアは無い。イタリアにスパゲッティナポリタンが無いのは知っていたが、ミラノ風ドリアも無いのだな。(笑)

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2021年3月 1日 (月)

おひなさま

もうすぐ雛祭り。先日訪れた関宿では、お隣の亀山宿と共に「東海道のおひなさま」のイベント実施中、多数の雛飾りを展示している(3月6日まで)。
写真は関宿「橋爪家」に展示されているお雛様。左手奥が江戸時代の、右手奥が昭和の、右手前が大正の雛人形。江戸時代のものがジオラマ的なのが面白い。雛段飾りの雛人形は、歴史的には新しいものであるらしい。

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