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2021年2月28日 (日)

織田信孝の菩提寺 in 関宿

先日、三重県にある関宿に行ったら、当地に織田信孝(信長の三男)の菩提寺があるのを見つけて「へぇ~」って感じだった。
(写真上が関宿風景、下が織田信孝のお墓)

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お寺の名前は福蔵寺。説明板によると、このお墓は400年忌の際に建てられたもの。歴史上の人物だけど、お墓は新しいということで。
同じ説明板によると、福蔵寺はもともとは信孝が父信長の冥福を祈るために建て始めたお寺。ところが信孝が信長の死後一年もしないうちに死んだため、信孝自身の菩提寺になってしまったという、何だか戦国の世の無常を感じる顛末。

天正10年(1582)6月2日、本能寺の変勃発時、信孝は四国攻めの軍勢の大将として堺にいた。ところが変の知らせを受けて兵は四散。中国から取って返した羽柴秀吉の軍に合流して、信孝は父の仇である明智光秀を滅ぼしたものの、やがて秀吉は信雄(信長の二男)と連携。信孝は柴田勝家に付くが、翌年4月賤ケ岳の戦いで勝家は敗北。信孝は捕らえられ、岐阜から尾張内海に送られる。そして5月2日、信雄の命により、大御堂寺において信孝は切腹。享年26歳。

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2021年2月23日 (火)

明智光秀謀反の謎

今日の午後は、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」総集編を流し見していた。

明智光秀はなぜ謀反を起こしたのか。ドラマでは、織田信長と二人三脚で「大きな国」を作るため奮闘してきた光秀が、信長が横暴極まりない支配者になりつつあることに失望して、最終的に信長を無きものにすることを決意して本能寺の変を起こす――という描かれ方だった。
このストーリーは、ドラマの時代考証を担当する小和田哲男先生の「非道阻止説」に近いが、それほど説得的とはいえない。本当に信長が暴走気味の「非道」な振る舞いをしていたのならば、変の後、みなこぞって光秀に味方しただろう。

また、帰蝶の語る、斎藤道三と明智光秀が織田信長を作った、ならば作った者が始末をする、というセリフからは、イエズス会黒幕説の組み立て方に類似した印象も受ける。これは、当初信長を支援していたイエズス会が、コントロールできなくなった信長を光秀を使って滅ぼしたというトンデモ説ではあるが。
まあ何の説を取るにせよ、ドラマで光秀の謀反の理由を説得的に描くのは、そもそも難しいとは思う。ドラマを分かりやすくするためには謀反の動機を多かれ少なかれ単純化しなければならない。でもそうすると、謀反という一大事を決意する理由としては、いまひとつ弱いなあと感じてしまう。
まあそれもこれも、光秀本人の語った謀反の理由が残ってないから、どうしようもないけど。変の直後に人にあてた手紙の中では、「娘婿を取り立てるためにやった」とか「信長父子の非道は天下のためにならない」とか書いてるわけだが、それも人を味方に付けるために言ってるのだから、とても本音とは思えない。
結局根拠となる史料が乏しい中では、野望説も怨恨説も推測や憶測に近くなるし、様々な黒幕説も検証が一巡。最近は新史料発見から四国攻めとの関連が改めて注目されているが、それも決定的とはいえない状況。

思い出せば昔のこと、漫画日本の歴史(カゴ直利の画)で光秀の最期を見て、子供心に暗い驚きを覚えた。やがて、本能寺の変の原因が分からないと死んでも死にきれないと思うようになった。しかし年月が経ってみると、やっぱり分からない、分からないまま死ぬなあという感じになってきた。最近では、織田権力内部の動きに関連付けた説明にリアリティを感じてはいるけど、まあ状況証拠の積み重ねと合理的な推測により、謀反の動機を朧気ながら掴むというところで満足しなきゃならんかな、という感じである。

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2021年2月13日 (土)

明智十兵衛光秀の最期?

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」最終回(再放送)を見た。7日の日曜日の放送は夜5時45分からのBSを見て、8時からの地上波も途中から見たので、さらに今日の再放送も見たから、これでラストシーンは3回見たことになる。
おそらく、明智光秀が主人公のドラマのラストとしては、これでいいのだなと納得する終わり方だった。
見る前の予想としては、主人公なんだし、史実通りの悲惨な最期を描くことはしないだろう、おそらく語りだけで光秀の死を告げる、いわゆる「ナレ死」で結ぶだろうなと思っていた。
実際、ドラマの最後近くで「光秀は敗れた」とナレーションが入り、やっぱりそうきたか(でも「死んだ」じゃないけど)と思っていたら、直後に「3年後」のエピソードが続いたのは予想外の展開。
そして最後の最後に、光秀らしき人物が馬に乗り大地を駆けていくシーンで「完」。
果たしてこの「光秀」は幻なのか、それとも・・・。
既にネット上では、光秀生存説、さらに天海僧正となり徳川を助ける未来を暗示、等々いろいろ言われてはいる。
まあ自分は単純に、光秀の魂は死してなお地上にとどまり、平和な世の到来を見届けようとしている、くらいに思ってますけどね。

でも最後の駒ちゃんの涙はよかった。何だかしらんが泣けた。架空人物の活躍についてはネット上でもあれこれ言われてはいたが、駒ちゃんはこのラストのためにいたと言ってもいいくらいだ。天下の謀反人が死んだ後に悲しむ人が誰もいないのでは、ドラマの終わりとしても余りにも寂しい。

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2021年2月12日 (金)

将棋・朝日杯は藤井二冠の優勝

本日付朝日新聞記事から以下に引用。

第14回朝日杯将棋オープン戦(朝日新聞社主催)の準決勝と決勝が11日、東京都千代田区の有楽町朝日ホールで行われ、藤井聡太二冠(18)=王位・棋聖=が2年ぶり3度目の優勝を果たした。
朝日杯は持ち時間が各40分で、使い切ると1手1分未満で指す早指し戦。藤井二冠は午前の準決勝で渡辺明名人(36)=棋王・王将と合わせ三冠=と対戦し、終盤に敗勢から粘り強く指し続け、逆転勝ち。午後の決勝では三浦弘行九段(46)との激戦を制した。
準決勝・決勝は例年、ファンが観戦する公開対局として行われるが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大のため無観客となった。

・・・ということなのだが、協賛社に勤めている小生はなんとなんと、招待枠に参加希望して無観客の会場に出入りすることができたのだ。いやあ、定年後もこの会社にいて良かったなあと心の底から思った。(笑)

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当日は午前10時から、ホールのステージ上で準決勝2局が同時に対局開始。渡辺名人対藤井二冠と、三浦九段対西田拓也四段だが、やはり渡辺・藤井戦(写真は対局開始直後の様子)が事実上の決勝戦かなあと思っていた。戦型は渡辺・藤井が相掛かり、三浦・西田が居飛車穴熊対三間飛車。12時前、まず三浦が125手で勝利。渡辺・藤井戦は両者持ち時間を使い切った後、1分将棋が1時間以上も続く緊迫の展開。ほぼ無人のホールに、記録係の秒読みの声だけが流れる中、12時半頃、138手で藤井勝利の決着。

藤井対三浦の決勝は午後2時開始、後手番三浦の注文から横歩取りの激戦に。午後4時過ぎ、101手で藤井勝ち。朝日杯3度目の優勝を決めた。

会場内の大盤解説室ではアベマTVが中継する中、木村一基九段、杉本昌隆八段の解説や、大盤の前で各対局者を交えた感想戦なども直接見ることができたし、何だか夢みたいとしか言いようがない。とにかく将棋漬けの一日でした。

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2021年2月10日 (水)

ガバナンス改革の理想と現実

昨日9日付日経新聞投資情報面コラム「一目均衡表」(社外取 本質かすむ「数合わせ」)から以下にメモする。

日本の企業統治を巡って周囲が騒がしい。今春に3年ぶりに改定されるコーポレートガバナンス・コード(企業統治指針)で独立社外取締役が3分の1以上と、現行の2人以上から引き上げられる。
2100社を超える東証第1部では、独立社外取締役が3分の1以上を超える比率が4割超にとどまる。指針の改定は6月の株主総会から適用される見通しで、「未達」の上場企業はあわてて社外人材の確保に動いているようだ。

社外役員の増員は不可避の流れだが、実態を探ると首をかしげる現実がある。「この会社では社用車はつくんですか」「3社ぐらい同時にやれたら経済的に助かるんだが」。候補案件を持ち込むヘッドハンターに対し、こう問いかける元経営者が少なくない。
上場企業側にも課題がある。社外役員の年収は800万~2000万円程度とされるが、ヘッドハンターには「年300万円で誰か探してもらえないでしょうか」といった相談も舞い込む。人物本位ではなく、いかにコストをかけずに社外役員を引っ張ってくるかが優先される。

問われるべきは量ではなく質なのは明らかだ。企業統治指針は2015年、日本の成長戦略の一環として適用された。低い収益性を改善し、企業価値を高めることが最大の眼目にある。社外役員に対して、経営者の暴走に歯止めをかける役割が求められる米欧とは成り立ちが違う。
日本企業が資本生産性で米欧勢に負けてきたのは事実であり、ガバナンス改革を稼ぐ力につなげる必要がある。
社外取締役自身のバリューアップをどう図るか。長い時間がかかるのは覚悟で数の議論を超えた本質論にまで踏み込まないと、理想と現実の溝は埋まらない。

・・・「攻めのガバナンス」により企業価値向上を図る。当時のアベノミクスの一環として始まったガバナンス改革ではあるが、コーポレート・ガバナンスとは本来、株主目線から企業価値の毀損を防ぐという「守り」の姿勢を基本とするように思う。仮に「攻めのガバナンス」という概念が成立するとしても、社外取締役の頭数を揃えるだけでガバナンスが改善し、企業価値の向上につながると素朴に考える向きは多くはないだろう。結局、ガバナンス改革が成果を挙げるかどうかは、個別企業の試行錯誤も含む努力の継続に懸かっているという感じだ。

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2021年2月 5日 (金)

四苦八苦

齋藤孝・明治大学教授の新著『60代ミッション』(西東社)から、仏教の「四苦八苦」について説明している部分をメモ。

仏教に「四苦八苦」という言葉がある。そもそも人間は生まれてきたこと自体が苦だし、老いること、病気になること、死ぬことも苦。その生老病死の「四苦」に加えて、「愛別離苦(あいべつりく、愛する人やモノと別れる苦しみ)」、「怨憎会苦(おんぞうえく、会いたくない人と会わねばならない苦しみ)」、「求不得苦(ぐふとくく、求めるものが得られない苦しみ)」、「五蘊盛苦(ごうんじょうく、肉体があるがゆえの苦しみ)」の四苦がある。合わせて「四苦八苦」――。
人間は等しく、これらの苦を避けて通れないという。だから「受け入れなさい」というのが仏教の考え方である。

・・・ということなんですが、「苦」とは根本的に、肉体的あるいは物理的な、つまりフィジカルな出来事を表わしているように思う。それら全くフィジカルな出来事は、自分の心でどうにかしようとしてもどうにもならないことであり、それゆえ自分の心が望んでいるとはいえない出来事、つまり「苦」として現象してくる。つまりこの世では、自分の心が望んでいないことばかり起こるのであり、結局のところ現実とは苦の世界であると認めるほかない。その認識から現実に向き合う覚悟を決める、それが「生きる」ということなのだろう。

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