「社会主義」の可能性
『いまこそ「社会主義」』(朝日新書)は、池上彰と的場昭弘、ジャーナリストと哲学者の対談本。以下に的場先生の発言からメモする。
社会主義の挫折というときに、ついソ連のような共産党一党独裁タイプの社会主義、つまり国家主義的な社会主義の失敗を想起しがちですが、そうではない社会主義もあったということを忘れてはいけない。
別の社会主義、つまり、民主主義を前提にして、人々の自由な運営によって実現しようという社会主義もありました。プルードンはアナキスト(無政府主義者)と紹介されることが多いのですが、人々の自由な運営を重視した社会主義者でもありました。
19世紀に国家主義的な社会主義の思想が誕生した理由は、資本主義は無政府的で、貧富の格差を増大させ、貧困層はなくならない、という認識があったからです。国家が介入すれば、それをなくせる、と考えたわけです。
資本主義と比較して社会主義に大きな欠点があるとすれば、どうしてもドグマ(教義)というのがあって、そのドグマが権威を生み、それがさまざまな発展を止めてしまう傾向がある。
資本主義は、私たちの現実の暮らしのなかから出てきて、理論はあとから付けられたものです。社会主義は現実に存在しなかったので、頭の中で考え出されたがゆえに、極めて理論的な側面がある。原理・原則主義があって、それが破られないように政府が規制していく。そして、私たちの自由な発想が削がれていく。問題は、その部分です。
自由を担保した社会主義を、どうやってつくっていくかが課題となります。
・・・「極めて理論的」であるがゆえに、社会主義は「観念論」に陥りやすいのだと思われる。マルクスはヘーゲルの歴史哲学を観念論的倒錯である、つまり現実認識としておかしいと批判したのだが、マルクス主義もまた結局「観念論」だったというのは実に皮肉な感じがする。実際、社会主義国家や計画経済は失敗に終わった。簡単に言って人間は自由を求めるからだ。しかし自由な資本主義は格差を生む。その格差を是正するための再分配は国家が行う。ということで、平等を志向する社会主義は、国家主義に傾きやすい面もあると思われる。では、国家主義でない社会主義は現実に可能か。的場先生は、民主主義的な合意に基づく地方分権型社会主義を構想する。格差と分断が世界を覆う中で、社会主義の可能性を改めて追求する様々な試みが現われてくるのかも知れない。
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