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2020年10月24日 (土)

関ヶ原古戦場記念館

今月21日にオープンした関ヶ原古戦場記念館。行ってみたら、凄い立派な建物。JR関ケ原駅から徒歩5分程度、建物の上部は駅からも見える。

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入館すると、まず床面スクリーンの映像マップで東西両軍の戦いの推移(語りは神田伯山)を、次に大画面シアターで軍勢の走り回る戦闘再現アニメを見る。次に2階に上がり、鎧兜や文書や肖像画など資料展示のフロアを見学する。そして最後にエレベーターで最上階の5階に上がると、そこは古戦場全体を360度見渡せるガラス張りの展望室。とりあえず笹尾山(石田三成陣)方面を写す。

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このほか、施設内のショップでは戦国グッズや土産品などを販売。カフェもあり、観光施設としては申し分ない内容。

・・・なんだけど、どうしても自分の頭に浮かぶのは、学問的には今、関ヶ原合戦の見直しが急速に進んでいること。そういうタイミングで、従来の通説的ストーリーのイメージを全面展開する施設が完成したというのは、ちょっと皮肉な感じがしないでもない。

とはいえ、その辺はBS番組で乃至政彦先生が言ってたように、「物語の合戦」と「史実の合戦」の両立を図るということでいいんだろう。長い間に作り上げられてきた関ヶ原合戦のストーリーを、一次史料から認められる史実とは異なるからと言って、無碍に否定するのも野暮というもの。関ヶ原合戦のドラマはドラマとして楽しむのが、「大人の対応」なんだろうな。

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2020年10月22日 (木)

「三島由紀夫」は今でも有効か

このところの日経新聞文化面にコラム記事「三島由紀夫50年後の問い」が連載されている。本日の紙面では、三島の「美しい星」を映画化した映画監督の吉田大八が寄稿。吉田氏が語る、三島の作品が「現在にびしびし刺さってくる」理由を以下にメモする。

「それは三島が、人間の生の無意味から目をそらさず、無意味に懸けるからでしょう」。
「意味を見いだせないから委縮するのではなく、無意味だからこそ行動する。その一瞬に美が立ち上がる。現代社会では意味のあるなしがまず問題になり、効率優先で切って捨てようとするが、それを突き詰めていけば人間を疎外することを、三島は分かっていた。無意味に懸けるしかないという姿勢は、今、改めて迫ってくる」

・・・無意味に懸けるという姿勢は、いくばくかヒロイズムの混じったある種のロマン主義に見える。そして現代社会においては、いかなるスタイルのロマン主義も成立しないと思われる。それこそ何の得にもならないと言われて、ポイ捨てされてしまうだろうから。そんな風に我々は余りにも計算高いのであるが、その一方で実のところ、無意味というものに慣れ切ってしまってもいる。もはや無意味に懸けようという姿勢に美を感じることなどありそうもない。

同じ連載記事からもう一つ、昨日21日付紙面掲載の宮台真司・東京都立大学教授の寄稿から以下にメモする。

〈このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう〉

三島由紀夫は1970年11月25日に自裁する約4カ月前、「果たし得ていない約束」と題する文章を新聞に寄せた。社会学者で東京都立大学教授の宮台真司氏(61)は作家の死に強い衝撃を受け、その意味を問い続けてきた一人だ。「三島が捉えた日本の本質と彼が主張する天皇主義を理解する上でこの文章はとても重要」と考えている。
日本人にとって天皇の存在は必要不可欠であると三島が考えたのは、さもなくば日本社会が空虚なものになるという危機感があったからだ。

日和見的な日本人の「空っぽ」を埋める存在が天皇であるという三島の思想に宮台氏は強く共感するという。「状況が変わろうとも一貫できるかどうかを考えたとき、よりどころとなる不動点が必要になる」

宮台氏は「50年前に三島が予言した通りの状況が今の日本にある」とみる。「(三島は)私たちが生きるための不動点を見いだせるように扉を開いてくれた。日本が『空っぽ』な限り、三島の問いは有効であり続ける」

・・・宮台先生と同い年の自分にも、三島の死の記憶はハッキリと残っている。しかし50年も前の出来事を難なく思い出すことができるのだから、年を取るというのも不思議な感覚がするものだな。

かつて三島が嘆いたのは、日本が独自の精神を失い、物質的な価値観しか持たない国になることだったのだと思う。その予感は十分に当たったと言える。しかしその一方で、今や物質的に豊かな生活に満足している日本あるいは日本人が、自らの精神が「空っぽ」であることに怯えているようにも見えない。日本人は精神的「よりどころ」を不要とするほど強くなった・・・というよりは単に鈍感になった、ということなのかも知れない。いずれにせよ、そういう状況の中では、三島の問いの有効性は既に失われているように見える。

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2020年10月14日 (水)

やりたいこと有りや無しや

定年後にやりたいことが見つからない、そういう人は少なくないらしい。でも、やりたいことが見つからないというのも、それほど情けないことではないのかも知れない。世界史好きの経営者として知られる出口治明さんは、「歴史を見渡すと、人間の99%以上はやりたいことがわからずに死んでいく。一生探し続けて、やりたいことが見つからなければ、『自分は多数派だった』と思って死ねばいいだけだ」(今週の「週刊東洋経済」(10/17号)掲載のインタビュー記事)と言う。実に潔い認識だ。

実際には、やりたいことを探し続けて、見つからないというよりも、それなりに認められるほどの才能はないなと諦めるのが、一般的なパターンのような気がする。まあ、定年後のやりたいことであれば、改めてプロを目指すというならともかく、趣味レベルならば充分見つけられるとは思うけど。

もう少しあからさまに言うと、人間の99%以上は、自分の人生に大した意味は無かったな、と思って死んでいくのだろう。それこそアメリカ大統領にでもなれれば、自分の人生に意味はあるのだと思えるんだろうけど・・・まあ大した意味は無い人生が「多数派」なのだと思えば、それはそれで自分もなぜか安心するところもあるのが妙な感じです。

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2020年10月13日 (火)

「人・本・旅」のススメ

世界史好きの経営者として知られる出口治明氏。これまで日本の会社員は長時間労働を強いられ、特に男性は「飯・風呂・寝る」の生活に追いやられ、「学び直し」の時間を作ることも難しかったが、テレワークの広がりを機に「人・本・旅」の生活に転換してほしい、という。今週の「週刊東洋経済」(10/17号)掲載のインタビュー記事からメモ。

おいしい人生は知識×考える力だ。よくどんな本を読めばいいかと聞かれるが、自分が好きな本に決まっている。
付き合う人についても同様だ。どういう人と付き合えばいいかと聞かれるが、相性がよければ付き合えばいい。
旅については、ただ遠くに行くだけが旅ではない。近所においしいパン屋ができたと聞いたら、実際に行って食べてみる。それこそが「旅」で、そうした行動の蓄積が人間を形づくっていく。

・・・「人・本・旅」は出口さんが常々言ってることで、自分も同感する。その生活を実践する方法も、好きな本を読む、相性の良い人と付き合う、知らない場所に行ってみる、と実にシンプルだ。結局人間のやっておくべきことは、仕事を除けば「人・本・旅」になると思う。「人・本・旅」から多くのことを、人は学ぶことができる。学ぶことにより、人は自らを変化させる。ということは、「人・本・旅」は、自分が昨日と違う自分になるための手段である。
仕事をやめてリタイアした後に、やりたいことが見つけられない時は、それこそ「人・本・旅」をやっときゃいいんだと思う。

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2020年10月12日 (月)

五木寛之の語る「苦」

仏教でいう「苦」とは何か。今週の「週刊東洋経済」(10/17号)掲載の、作家・五木寛之のインタビュー記事からメモする。

世の中というのは、不合理で、矛盾していて、努力しても必ずしも報われるとは限らない。そういうことが積み重なっていく不条理な状態をブッダは「苦」と表現しました。
「苦」というのは苦しいのではなく、思ったとおりにいかないということ。不条理という言葉がぴったりなんです。人生は不条理なものだと。その中で何とか生きていくためにはどうすればいいのかということを、論理的に教えたのがブッダという人物でした。
人間の一生というのはつらいことの連続です。そう思っていると、違うことに触れたときの喜びが大きい。虚無的というのか、不条理を肯定する。ブッダが言う「苦から出発する」「人が生きることは苦だ」「人間の世界は苦の世界だ」という考え方は、非常に合理的なのです。

・・・仏教でいう「苦」は、苦しみではない。そのとおりだと思う。例えば四苦八苦の四苦、生老病死は、一見「苦しみ」に見えるかもしれないが、むしろ自分の意志では変えることのできない、いわば純然たる身体的出来事である、と考える方が正確ではないだろうか。このほか、愛する人と別れてしまうこと、憎む人と出会ってしまうことも、四苦八苦に含まれている。これはいわば物理的な出来事だ。身体的物理的、つまりフィジカルな出来事は、自分の心ではどうすることもできない、ということを「苦」は意味しているのだと思う。そして、この世の根本は苦だと割り切れば、むしろ心は平安を得られるという、逆説的な認識を得ることも可能だろう。

付け加えると、昭和7年生まれの作家は、自分たちの親世代の人である。つまり少年少女時代の戦争の経験を記憶している。同じ記事の中で、作家はこう語っている。「僕は敗戦の年から、ずっと同じ考え方なんです。あの価値変動の中で、国も政府も全部ひっくるめて、すべて信用できない」。自分はいつも、作家の言葉を親世代の言葉として聞いている。

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2020年10月11日 (日)

ナチスの「T4作戦」

先日、ドイツ映画「ある画家の数奇な運命」を観た。ナチス時代に少年期を過ごし、東ドイツそして西ドイツで自らの芸術を追求する若者のドラマを描く、上映時間3時間を超える作品。まず最初の1時間が重い。ナチスの障害者「安楽死」政策が描かれるからだ。子供の頃の主人公に影響を与えた若く美しい叔母が精神を病んだ結果、この政策の犠牲者になる。

ナチスの犯罪といえば条件反射的にホロコーストを思い浮かべるが、ユダヤ人だけでなく障害者も虐殺していた。ということを自分は、2015年のNHK番組で知った。ナチスドイツは戦争中、「T4作戦」(ベルリン市内のティアガルテン4番地に作戦本部があった)と呼ばれる障害者安楽死計画を実行していた。以下は、NHK番組で案内役を務めていた藤井克徳さんの著作『わたしで最後にしてーナチスの障害者虐殺と優生思想』(2018年、合同出版)を参考にする。

T4作戦実行による障害者の殺害が始まったのは1940年1月。ドイツ国内の6つの施設のガス室に、障害者たちが次々に送り込まれた。作戦は1941年8月に表向きは終了。キリスト教会からの抗議があったことなどによる。しかし実際には、その後も「作戦」は続行していた。中央からの指令は出されなくなったが、地方自治体が命令を出し、戦争が終わるまで殺害は実行されていた。犠牲者数は41年8月までに7万人、それ以降終戦まで13万人、合計で少なくとも20万人という。

優生思想に基づき「生きる価値のない命」を抹殺する。ナチスのT4作戦は、まさしくユダヤ人大虐殺のリハーサルだった。T4作戦には、医療関係者も自主的かつ積極的に加担したという。あのアイヒマンのように、自らの職務として進んで組織的殺人に取り組んでいたのだろうか。

自分はアウシュビッツを訪ねてみたこともある。けれども結局のところ、ユダヤ人の虐殺がなぜ起きたのか、日本人には分からないという感覚が残っている。しかし障害者の虐殺については「同胞」を殺すことでもあり、ひどく不気味なものを感じる。これは決して他人事とは言えない。優生思想の厄介なところは、論理的には正しく見えることではないか。完全に否定するのは難しいような気がする。しかしながら、だからといって優生思想を殺人実行につなげるのは飛躍があると感じる。いかなる思想も、殺人を正当化することはできない。

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