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2020年5月15日 (金)

「信長と光秀の時代」展、開催延期

「信長と光秀の時代」展(滋賀県の安土城考古博物館)の開催が延期された。当初は4月末からの「春季特別展」として予定されていたものが、緊急事態宣言を受けてストップ。結局、開催の時期そのものが秋に変更された。

で、とりあえず展覧会図録を郵送で取り寄せた。その図録の冒頭にある解説文によれば、博物館では以前、2001年に「本能寺の変」に係る特別展を開催し、変の原因諸説を検証。その後20年近く経過したのだが、「実のところ、変に関する研究の結論は、そこからほとんど進んでいない」のだという。しかしながら、「興味本位の黒幕説や陰謀論は否定され、信長や光秀の人物像も転換された。織田政権のあり方や内部矛盾が原因の一つとして議論されている研究現状は、今後の展開が大いに期待できる」、とのことである。

確かに明智光秀が織田信長を討った理由については、光秀の背後に首謀者として公家、足利義昭、イエズス会などを想定する、いわゆる「黒幕説」が一時盛り上がったものの、裏付け史料の乏しさや強引な解釈などから急速に支持を失い、その後は四国政策を巡る信長と光秀の軋轢の可能性が改めてクローズアップされてはいるが、やはり決定打に欠けるという具合で、残念ながら今もなお、光秀の謀反の理由は明確には分からないと言うほかない。

とはいえ、最近の研究動向は、信長と光秀の人物像を捉え直すとか、畿内平定後の織田政権内部における権力の危ういバランスに着目するとか、歴史的リアルを地道に追求している感じもする。例えば信長の革新性とは違う保守的な面にも目を向けるとか、光秀の文化人的な印象とは別の戦国武将らしい強かな振る舞いに注目するとか。光秀の年齢について、個人的にはあんまり賛成できないけど、享年55歳ではなく67歳説もあったりする。そこから、佐久間信盛や林通勝の老臣追放を目撃して、光秀は先行き不安を感じたであろうとか、あるいは信長はいずれ光秀の領地を取り上げて自分の息子たちに与えるつもりだったのではないか等々、光秀の置かれた立場と抱いた思いを合理的に推測することにより、光秀が謀反を決意した道筋が見えてくる。ような気がする。

戦国の世を生きる人間のリアル感覚に地道に迫る試みが、本能寺の変のリアルなストーリーの組み立てに寄与することを、自分も大いに期待したい。

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