« 織田信長像もマスク姿 | トップページ | 「信長と光秀の時代」展、開催延期 »

2020年5月11日 (月)

『国盗り物語』読書

普段、小説は読まないのだが、外出自粛のゴールデンウィークという今年の特殊事情から、この機会に長いものを読んでみるかと思い立って、選んだのは司馬遼太郎の『国盗り物語』。

この小説を原作とした1973年NHK大河ドラマ『国盗り物語』は、自分にとっては戦国ドラマの最高作。って、これ47年も前の作品なんだな。驚くなあ。とにかく自分にとっては、この作品は、その後の戦国ドラマを評価する際の規準になっている。が、結局今のところ、この作品及び同じ司馬遼太郎原作の1981年TBS大型ドラマ『関ヶ原』を超える戦国ドラマはない。と思っている。

今回、原作小説を読んでおくかという気になった理由は、もちろん今年の大河ドラマ『麒麟がくる』の内容と話がダブるということもある。しかし明智光秀が主人公だなんて、昔だったら考えられないな。でも『国盗り』も、明智光秀は準主役の扱いだったけどね。『麒麟』は今のところ、主人公は誰?みたいな感じだし、やっぱり光秀は『国盗り』くらいのポジションが良いのかな、と思ったりする。

小説『国盗り物語』では、明智光秀は室町幕府再興のために奔走する「志士」的人物として、また自らの能力は織田信長に劣らないと自負する、それゆえに信長に対する批評的視線も持つ人物として描かれている。そして本能寺の変に至る間接的要因として、信長の何事にも容赦のない性格、特に家臣を道具として使い切るという苛酷な態度が示され、さらに信長からの国替えの命令を直接的な要因として、光秀は謀反を決意することになる。

当初は斎藤道三の一代記を想定していた司馬だったが、道三の「弟子」である信長と光秀が本能寺で激突するところまで書けば、小説の主題が完結すると考えて、信長の話も書き継いだという。なるほど。とは思うのだが、個人的には道三というのは評価の難しい人物だなという感じ。最近では、美濃の国盗りも道三とその父、親子二代の仕事と見られているので、「油屋から一代で国主」という物語も、当時の研究レベルを前提に書かれたものと承知しておきたい。

昨日放送の『麒麟』では、斎藤道三が戦死した。本木雅弘の道三は割と評判が良いみたいだが、道三はやっぱり『国盗り』の平幹二朗だな。しかしヒラミキも故人かあ。『国盗り』の出演者で故人は宍戸錠(柴田勝家)、米倉斉加年(竹中半兵衛)、林隆三(雑賀孫市)、東野英心(山内一豊)などなど。林の孫市はカッコ良かった。原作の小説『国盗り』には出てこない人物で、同じ司馬作品『尻啖え孫市』の主人公。大河『国盗り』は、司馬の他の戦国時代作品もストーリーに取り入れて、ドラマを厚みのあるものにしていた。

小説『国盗り』の「あとがき」で司馬は、本能寺の変で光秀と袂を分かった細川幽斎について語り足している。「幽斎は、その一代で、足利、織田、豊臣、徳川の四時代に生き」た、「もはや至芸といっていい生き方の名人」であろう、と。そうか。大河ドラマも明智光秀じゃなくって、細川幽斎を主人公にして作る方が良かったんじゃないか。と思ってしまいました。

|

« 織田信長像もマスク姿 | トップページ | 「信長と光秀の時代」展、開催延期 »