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2020年4月20日 (月)

キリスト教の多様化

宗教の現在地』(角川新書)は、池上彰と佐藤優の対談本。多様化するキリスト教について、佐藤発言からメモ。

カトリックは融通無碍なところがあるのです。基本的には、教会に所属していれば救われます。ミサにあずかって難しい教義を理解しなくても、聖書も読まなくていい。聖書は神父の指導のもとで読め、というのがカトリック本来の考え方なのです。聖書を重視するという考えは、プロテスタンティズムのものです。カトリックでは、聖書と伝統は表向き対等ですが、実際のところは伝統のほうが重い。だから、プロテスタンティズムとカトリックは異なるキリスト教です。

シンクレティズム(宗教混淆)は日本をはじめ、どこにでもあるわけです。たとえば、キリスト教の原形は砂漠の宗教だから、イスラムに近い。それが哲学や学問体系と結びつくのは、ギリシア思想、ギリシア哲学とのシンクレティズムでしょう。カトリック教会の場合は、教会法ができることで秩序、ヒエラルキーが生まれてくる。これはローマ法とのシンクレティズムです。ドイツの教会が民族と結びつきやすいのは、ゲルマン的な部族神話とのシンクレティズムです。それぞれの地域でシンクレティズムはある。だから「土着化」とも言うわけです。純粋なるキリスト教など、存在しません。アーネスト・ゲルガーが、キリスト教やマルクス主義は定義が無意味だ、と述べています。キリスト教とは何かと言っても説明できない、と。その通りです。トランプのキリスト教と、南米の「解放の神学」のキリスト教と、アメリカのフェミニズム・キリスト教と、プーチン政権下のロシア正教との共通項は何だろう?となると説明は難しいのです。

・・・キリスト教は良く言えば柔軟性のある、悪く言えばかなりテキトーな宗教と言えるのだが、そこが強みなのだと思う。もともとキリスト教は長い時間をかけて形成されてきた宗教であり、それぞれの時代、それぞれの地域に、それぞれのキリスト教があった。まさに純粋なキリスト教など存在しない。さらに近代以降の「世俗化」の流れも考えれば、現在のキリスト教を一義的に定義するのも非常に困難だ。仏教も事情は似たようなもので、インドの、中国の、日本の、それぞれの仏教があり、とりあえず日本の仏教を見ても奈良・平安、鎌倉、室町の各時代でその有り様は異なる。結局、宗教も歴史的な産物と考えて良いわけだ。

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