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2020年4月29日 (水)

織田信長像もマスク姿


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マスク姿で天下に緊急事態宣言を発出する信長公、とか。(JR岐阜駅前)

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2020年4月20日 (月)

キリスト教の多様化

宗教の現在地』(角川新書)は、池上彰と佐藤優の対談本。多様化するキリスト教について、佐藤発言からメモ。

カトリックは融通無碍なところがあるのです。基本的には、教会に所属していれば救われます。ミサにあずかって難しい教義を理解しなくても、聖書も読まなくていい。聖書は神父の指導のもとで読め、というのがカトリック本来の考え方なのです。聖書を重視するという考えは、プロテスタンティズムのものです。カトリックでは、聖書と伝統は表向き対等ですが、実際のところは伝統のほうが重い。だから、プロテスタンティズムとカトリックは異なるキリスト教です。

シンクレティズム(宗教混淆)は日本をはじめ、どこにでもあるわけです。たとえば、キリスト教の原形は砂漠の宗教だから、イスラムに近い。それが哲学や学問体系と結びつくのは、ギリシア思想、ギリシア哲学とのシンクレティズムでしょう。カトリック教会の場合は、教会法ができることで秩序、ヒエラルキーが生まれてくる。これはローマ法とのシンクレティズムです。ドイツの教会が民族と結びつきやすいのは、ゲルマン的な部族神話とのシンクレティズムです。それぞれの地域でシンクレティズムはある。だから「土着化」とも言うわけです。純粋なるキリスト教など、存在しません。アーネスト・ゲルガーが、キリスト教やマルクス主義は定義が無意味だ、と述べています。キリスト教とは何かと言っても説明できない、と。その通りです。トランプのキリスト教と、南米の「解放の神学」のキリスト教と、アメリカのフェミニズム・キリスト教と、プーチン政権下のロシア正教との共通項は何だろう?となると説明は難しいのです。

・・・キリスト教はよく言えば柔軟性のある、悪く言えばかなりテキトーな宗教と言えるのだが、そこが強みなのだと思う。もともとキリスト教は長い時間をかけて形成されてきた宗教であり、それぞれの時代、それぞれの地域に、それぞれのキリスト教があった。まさに純粋なキリスト教など存在しない。さらに近代以降の「世俗化」の流れも考えれば、現在のキリスト教を一義的に定義するのも非常に困難だ。仏教も事情は似たようなもので、インドの、中国の、日本の、それぞれの仏教があり、とりあえず日本の仏教を見ても奈良・平安、鎌倉、室町の各時代でその有り様は異なる。結局、宗教も歴史的な産物と考えて良いわけだ。

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2020年4月19日 (日)

「縁起」という現実認識

宗教の現在地』(角川新書)は、池上彰と佐藤優の対談本。「縁起」について語っている部分からメモ。

池上:仏教においては「縁起」という言葉があります。「今、私たちはなぜここに生きて存在しているのだろうか」と問うとき、仏教はそれに対し「縁起」という言葉で答えます。「縁起というものがあるから、私たちは今ここに存在しているのだ。その縁起を大切にしなさい」と。「どうして私たちはこの世に生まれてくることができたのだろう」と考えたら、「それは縁起があってのことだから、その命をあっさり、たやすく消し去ることは決してできないだろう」と仏教では言うわけです。アッラーやヤーウェという神であろうと、同様のことがいえるはずです。アッラーやヤーウェの何らかの意志が働くことでこの世に生命が宿っているのであれば、その生命を私たち人間が勝手に処分することはできるのか、と考えなければいけませんから。そうした問題について考え、伝えていく力が、暴力に抗する宗教の力でもあるのではないでしょうか。

佐藤:今、池上さんがおっしゃった「縁起」は、原因と結果という意味の因果をよく見ていくことが実は希望の原理になる、という点がいっそう重要だろうと、私は思います。
宗教の強さはトートロジーにあるとも言えます。最も重要なことは同語反復になり、最後には「そうなっているから、そうなっているのだ」と言ってしまうわけです。でも、そこには人知を超えていることの力強さがあります。おそらく仏教でもキリスト教でもイスラム教でも、みな共通してそうなっているはずです。人間の限られた理性の範囲だけで、あるいは自己決定権、自己処理ができるという形で、生命を処理してはいけないのです。

・・・彼らは「神の思し召し」と言い、我々は「ご縁がある」と言う。表現が違うだけで、どちらも、現実に起きる出来事には人知を超えたところがある、そのことを「説明」しているのだと思う。

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2020年4月18日 (土)

「不要不急」の消費で経済は回る

本日付日経新聞オピニオン面のコラム記事(経済は「遊び」 自粛を糧に)から以下にメモする。

新型コロナウイルスの感染が拡大してから、よく耳にした言葉の一つが「不要不急」だろう。そこでふと疑問が浮かんだ。日本経済の中で、不要不急とはどれぐらいの経済規模なのかと。

阪神タイガース優勝やオリンピックなどの経済効果を算出することで有名な、関西大学の宮本勝浩名誉教授に聞いてみた。「実は過去に積算を試みたが、線引きが難しく、数値を出しづらかった。ただモノ・サービスの大半は不要不急で、逆に医療、交通、食品など必需品の方が限られてくる」

政府が緊急事態宣言を出して以来、スーパーや商店街などの小売店以外、静まりかえった東京。改めて日本経済が不要不急の世界で回っていたことを実感する。

分け方にもよるが、最大の産業が余暇だ。レジャー白書によると2018年で約72兆円に及ぶ。アウトドア・ランニング用品やフィットネスクラブ、ゲームセンター、カラオケ、観光、音楽・動画配信などで構成される。これだけでも約300兆円の個人消費の約4分の1を占める。

経済が成熟化すると、生活必需品や社会インフラ費用の割合は低下する一方、不要不急の消費の比率は高まる。誤解を恐れずに言うと、経済はほぼ「遊び」でできているのだ。ホモ・サピエンスはホモ・エコノミクス(経済人)であり、ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)でもある。

・・・遊びをせんとや生まれけん。今の経済の主役は「不要不急」のモノやサービス。豊かな社会とは、「不要不急」のモノやサービスがあふれかえる社会である。そのことが、今回のコロナ・ショックでよくよく分かった。コロナ後の経済が変わるのか変わらないのか何とも言えないが、ひとまずは「不要不急」のモノやサービスを享受する自由を速やかに取り戻せたら良いなと思う。

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2020年4月16日 (木)

スペイン・インフルエンザ

およそ100年前に起きた人類史上最悪のパンデミック、「スペイン風邪」。15日付日経新聞記事「忘れられたパンデミック」から、以下にメモする。

それは1918年3月、米国カンザス州の陸軍基地で始まった。インフルエンザの症状を訴える兵士が続出。その後も米国各地の兵舎、学校、工場などで集団感染が発生した。春には世界各地でも同様の感染が見られた。第1波といわれる感染爆発だが、真の発生地は米国以外の可能性もあり、不明のままだ。

ときは第1次世界大戦のさなか。米国から毎月数十万人の兵士が欧州に渡っており、感染者を含む軍隊は「ウイルスの運び屋」となった。5月ごろから西部戦線、夏には欧州全域で感染が広がった。

感染はアジア、アフリカ、南半球に飛び火し、秋以降に世界的なパンデミックになる。第2波である。軽症者の多かった第1波より格段に致死率が高かった。

大戦の総戦死者の6割(約1000万人)が戦病死で、その3分の1がインフルエンザが原因とされており、戦争の終結を早めたといわれている。交戦国は感染爆発を秘匿し、中立国のスペインに関する報道が先行したため、「スペイン・インフルエンザ(日本では一部新聞が風邪と表記)」と呼ばれた。

第2波は12月には収束したが、1919年初頭から春にかけて第3波が襲いかかり、世界をなめ尽くした。各地の死者は欧州で230万人、インド1850万人、米国68万人、アフリカ238万人、中国400万~950万人、日本39万~45万人といわれている。

パンデミックは翌20年まで続いたが、感染者数と致死率は格段に縮小し、季節性のインフルエンザとなった。当時はウイルスを抑え込む特効薬もワクチンもなく、終息は多くの人が一定程度の免疫を獲得したためともいわれているが、確かなことはよく分かっていない。

・・・記事では、スペイン風邪に命を奪われた学者・文化人としてマックス・ウェーバー、アポリネール、クリムトが挙げられている。しかしスペイン風邪と聞いて、自分が真っ先に思い出すのはエゴン・シーレ。クリムトの弟子でもある画家は28歳の若さで病に倒れたこともあり、その特異な画風と相まって、天才の夭折という印象は強烈である。
(しかしスペイン風邪の終息の理由がよく分からないのも不思議だな)

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2020年4月15日 (水)

革命的投信に、新型ウイルスの打撃

日経新聞記事「分散投資が効かない 人気ファンドにコロナの誤算」(13日付電子版、14日付朝刊)から以下にメモする。

あるファンドが逆境に立たされている。日興アセットマネジメントが運用する「グローバル3倍3分法ファンド」の基準価格が急落したのだ。
18年10月に設定した3倍3分法ファンドの昨年の資金流入額は5276億円。日本の公募投信の中で実質的にトップだった。
ファンド名の「3倍」は、3倍のレバレッジを効かせるという意味だ。実際は、少ない証拠金で持ち高を増やせる先物取引を活用する。「3分法」は株、不動産(REIT)、債券の3資産への分散投資を指す。株20%、REIT13.3%、債券66.7%の比率に分けた上で3倍のレバレッジをかければ、株60%、REIT40%、債券200%に膨らむ。株とREITで期待リターンを高めながら、債券で全体のリスクを抑える算段だ。レバレッジの仕組みを長期投資のために初めて導入したという意味で、革命的な商品だった。
3倍3分法の売れ行きをみて、他の運用会社も追随。ライバルの設定が相次ぎ、合計の残高は一時1兆円を突破。投信業界の一大勢力に成長した。
そんな順風満帆な運用環境が一気に暗転したのが、新型コロナの感染拡大で米国株が崩れた2月下旬だった。3倍3分法ファンドの基準価格は2月21日から3月19日にかけて37.1%下落した。同期間の下落率が30%程度だった日米の株価指数を超える下落を余儀なくされた背景には、3つの誤算がある。
1つ目は、株と債券価格の逆相関が崩れたことだ。コロナの感染拡大を恐れた世界の投資家が、現金を求めて株も債券も投げ売りしたからだ。期待した株と債券の分散効果は働かなかった。
2つ目は、REITの下落が株以上に大きかったことだ。日米のREIT指数の下落率は40%を超えた。株の下げを相対的にリスクの低いREITで一部相殺するという分散投資のねらいが、ここでも外れた。
3つ目は環境が急変しても資産配分を変えないという「設計」だ。基準価格の値下がりが小幅にとどまったファンドには、環境悪化時に株やREITの組み入れを引き下げて、運用リスクを落とす機動的なリスク管理手法(リスクパリティ戦略)を導入している商品が多い。コロナショックの際は、相場のボラティリティーの上昇を受けて、リスクパリティ戦略を採用する世界の投資家が、リスクを落とすために一斉に株も債券も投げ売ったとみられる。株と債券の分散効果が効かなくなった3倍3分法ファンドは、こうしたリスクパリティ勢のリスク管理のあおりを受けたともいえる。

・・・リスクパリティに従った投資家の動きが資産価格の暴落を招くというのは、「合成の誤謬」(不景気だからといってみんなが節約するとますます不景気になる)みたいな話だな。株もREITも米国債も金も売られて、欲しいのは現金だけという市場では、どんなに工夫された投信でも打撃を免れることは不可能だ。自分も3倍3分法投信は持ってるので、痛感しました。はあ。

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2020年4月12日 (日)

カミュ『ペスト』が売れてるとか

「死病」が「大流行」している、というわけでもないのに、カミュの小説『ペスト』が売れているという話を聞いた時は、「へぇ~」って感じだった。リーマンショック時に、『蟹工船』が軽く流行ったことを思い出した。(苦笑)

新型コロナウイルスの感染拡大以来、新潮文庫の『ペスト』は15万部以上を増刷。これは通常の年間販売数5000部の30年分に当たる。また、累計では100万部を超えたという(文庫発行は1969年だから50年間の累計)。

そんなちょっとした「ブーム」に後押しされたのだろう、昨日土曜日の午後には、『ペスト』を取り上げたEテレ番組「100分de名著」が再放送されていた。本放送の2018年6月当時は、震災後の日本を考える一冊として読む、というのが番組テーマの狙いだったようだが、2年後の今、図らずもパンデミックという、本の内容により近い状況にマッチした番組になっちゃったんだなあ。

自分も『ペスト』という小説があるのは知っていたが、これまで読もうという気持ちになったことは無かった。しかしまあ、これもきっかけだと思ってとにかく読んでみた、というか目を通してみた・・・けど、やっぱりそんなに面白い小説じゃないな。でも、例えばペスト終息を待ち望む人々がノストラダムスなどの予言を持て囃すとか、ディテールの一部には妙にリアルな感じもある。

カミュに『カリギュラ』という演劇作品がある。そこでは暴君として知られるローマ皇帝カリギュラが、人々に理不尽な死をもたらす不条理そのものを体現する存在として現われる。すなわち主役は不条理そのものと考えてよい。
一方、『ペスト』では、不条理の象徴と見られるペストに襲われた町で、人々が次から次に死んでいく場面をこれでもかこれでもかと描写するというよりは、様々な考え方を持つ登場人物たちがペストに立ち向かう姿を淡々と述べているという印象。言い換えれば、巨大な「不条理」に対する人々の「反抗」と「連帯」が描かれているという具合で、これに「殺人の拒否」も加えて、カミュ的テーマの大部分が小説的表現として現われている作品といえるだろう。

Eテレ番組でも紹介されたように、1947年に発表された『ペスト』には、ナチドイツ支配下のフランスにおけるレジスタンス経験が色濃く反映されているのだとすれば、この小説が今の日本で売れているというのも、解るようで解らないという感じになってくるけどね。

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2020年4月 5日 (日)

コロナショック相場の行方

本日発行の「日経ヴェリタス」では、2020年度の株式相場見通しを12人の市場関係者にヒアリング。株式相場混乱の収束時期は「夏までに」「年度末までに」の2つの意見、いわば「早期収束派」と「持久戦派」に分かれたという。

今後、株式相場がいわゆる二番底を付ける見通しでは両者の見方は一致。景気や企業業績など実体経済の悪化を織り込むという想定だ。さらに二番底を付けた後の相場は上向きに転じるというのも共通している。各国の金融・財政政策の効果が徐々に現れてくるというのが、その理由。ただし実体経済及び市場心理の好転を株価が映すパターンについては、両者に差異がある。「持久戦派」は二番底が3月安値(16500円)を下回り、年度中に1月高値(24000円)を超えることはないと見ているのに対し、「早期収束派」は株価が二番底を付けた後、年度中に1月高値を上回る可能性もある、と見ていることだ。

・・・という具合に記事では説明されているのだが、12人のプロが示す株価の安値高値の時期と水準を見ると、

安値の時期は4-6月が最多の10人、7-9月が2人
高値の時期は来年1-3月が最多の8人、10-12月が3人、7-9月が1人
安値は16000円が最多の7人、17000円と15000円が2人ずつ、13800円が1人
高値は25000円から20000円まで分散し、最多は22000円の3人

ということで、イメージとしては、4-6月に16000円台で相場は二番底を付けて底入れ。その後相場は上昇に転じて、来春に今年1月の高値を更新する可能性がある、逆に言えば年内に高値まで戻る可能性は小さい。というのが今のところ、最大公約数的な株式相場のシナリオということになるのだろう。

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