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2020年2月 2日 (日)

フランス現代思想とアメリカ

アメリカにおけるフランス現代思想の受容には二つの特徴がある。と、フランソワ・キュセは『フレンチ・セオリー』(邦訳・NTT出版)の中で述べているとのこと。『アメリカのニーチェ』(J・ラトナー=ローゼンハーゲン・著、岸正樹・訳、法政大学出版局)の「訳者あとがき」からメモする。

キュセはアメリカにおける受容の第一の特徴として「哲学の文学化」を挙げる。他の学問の領域を文学の領域に取り込んでゆき、「文学」の領域が拡大してゆく。それはポストモダン的相対主義の普及であった。

第二の特徴は「アメリカ式の翻訳のメカニズム」。フーコーやデリダたちはそのテクストにおいてきわめて独特の、翻訳の困難な用語を次々と創案しては駆使するため、翻訳者はつねに用語・文献解説者の役目を負わざるを得ない。そこでは、原テクストの錯綜する主題群、諸問題を「忠実に」再現するのがきわめて困難なので、複雑なテクストを断片化し、単純化し、再編集して、それを汎用性の高いものに作り変える。作り変えられた「汎用性の高い」テクスト、言い換えれば、新しくアメリカナイズされたテクストは豊かで多様な解釈を付与することが可能なテクストに変わる。「フレンチ・セオリー」はその結果、さまざまな領域への普及、浸透が容易になる。元のテクストよりも大きな波及力、影響力をもたらすようになる。

こうしたアメリカ的受容の「メカニズム」のもたらす帰結は(アメリカ文化産業の介在によるが)たしかに汎用性を備えたフレンチ・セオリーの商品化であり、世界化である。それは新しいものを積極的に開発し、普及させてゆこうとする原動力でもある。英訳されたフレンチ・セオリーはアメリカ国内で独自の思想を生み出しただけでなく、カルチュラル・スタディーズ、ポストコロニアリズムへ移行、発展しながら、世界的な広がりをもってゆく。

・・・30年以上も昔の、日本におけるポストモダンの流行も、事情は似たようなものだったという覚えがある。日本では、特に浅田彰の『構造と力』が突出して「汎用性の高い」テクストであったという印象だ。ただしその後、日本独自の思想が生まれたということはなく、結局一時的なブームに終わったな、という感じ。残念ながら。

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