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2020年2月 9日 (日)

「天下布武」そして「天下静謐」

織田信長といえば、「破壊的革新的」な歴史上の人物として思い浮かぶのではないか。しかし最近の研究は、そんな信長のイメージを大きく修正しつつある。という話は自分も仄聞していましたが、『虚像の織田信長』(渡邊大門・編、柏書房)は、信長研究の新たな成果を一般向けにまとめてくれた有り難い一冊。とりあえず「天下布武」の意味するところについてメモします。

信長と「天下」といえば「天下布武」という印章が有名である。現在のところ「天下布武」印章の初出文書は永禄10年(1567)11月付けの「織田信長朱印状」である。永禄10年といえば、信長がようやく尾張と美濃の二国を平定した直後である。彼は本当にこの段階で「天下」を「武」で統一するつもりだったのだろうか。

神田千里氏は、「天下布武」という言葉の解釈として今まで考えられてきた、「天下」=日本全国を武力で統一する、という解釈を誤っているとした。神田氏は「天下」について、将軍にかかわる概念であるとした上で、①将軍が体現し、維持すべき秩序、②京都、③「国」とは異なる領域、という側面を指摘、信長にとっての「天下布武」とは、将軍足利義昭による五畿内平定であると唱えた。

神田説に則れば、足利義昭を擁立して上洛した信長はこの段階ですでに「天下布武」を成し遂げたことになる。では、「天下布武」後の信長の政治理念は何だったのか? このことを検討した金子拓氏は、それを「天下静謐」だったとする。「天下静謐」を維持することを自らの使命とした信長は、その「天下静謐」を妨害する勢力を討伐し、「天下静謐」の状態を保たなければならなかった、というのである。

永禄10年、美濃の攻略によって初めて信長は義昭を擁立して上洛するための準備が整ったのである。「天下布武」の印章はこの時期に使われ始めた。ここから「天下=将軍の支配すべき畿内」を「平定し幕府を再興する」という意味であることが納得できる。

・・・1990年代以降、信長像は革命的英雄から現実的な政治家へと見直しが進んでいるという。まさに信長像のコペルニクス的転回だあ。

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