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2020年1月15日 (水)

人間という「虚構する動物」

今や人間は、真偽の怪しい情報が大量に飛び交う「ポスト・トゥルース」の時代の中に生きている、と言われる。しかし、そもそも人間、ホモ・サピエンスとはポスト・トゥルースの種である、とユヴァル・ノア・ハラリはいう。以下に『21 Lessons』(河出書房新社)の「ポスト・トゥルース」の章からメモ。

実際には、人間はつねにポスト・トゥルースの時代に生きてきた。ホモ・サピエンスはポスト・トゥルースの種であり、その力は虚構を創り出し、それを信じることにかかっている。自己強化型の神話は石器時代以来ずっと、人間の共同体を団結させるのに役立ってきた。実際、ホモ・サピエンスがこの惑星を征服できたのは、虚構を創り出して広める人間ならではの能力に負うところが何より大きい。私たちは、非常に多くの見ず知らずの同類と協力できる唯一の哺乳動物であり、それは人間だけが虚構の物語を創作して広め、膨大な数の他者を説得して信じ込ませることができるからだ。誰もが同じ虚構を信じているかぎり、私たちは全員が同じ法や規則に従い、それによって効果的に協力できる。

でっち上げの話を1000人が1か月間信じたら、それはフェイクニュースだ。だが、その話を10億人が1000年間信じたら、それは宗教だ。とはいえ、私は宗教の有効性や潜在的な善意を否定していない。むしろ、その逆だ。宗教の教義は、人々をまとめることによって、人間の大規模な協力を可能にする。

少なくとも一部のケースでは、虚構や神話ではなく、当事者の合意のみで成り立つ約束事を通して人々を組織することが可能だと主張する向きもあるかもしれない。たとえば、経済の領域では、貨幣や企業は人間の約束事にすぎないことを誰もが知っているにもかかわらず、それらは神や聖典よりもはるかに効果的に人々を束ねる。

とはいえ、そのような約束事は、虚構と明確に異なるわけではない。たとえば、聖典と貨幣の違いは、一見したときよりもずっと小さい。

実際には、「何かが人間の約束事にすぎないのを知ること」と「何かが本質的な価値を持つと信じること」の間には、厳密な区別はない。

・・・人間の社会は「虚構の物語」と「約束事」、それを信じることによって成り立っている。宗教という物語も、貨幣という約束事も、人間社会をまとめる虚構として恐ろしいほど有効に機能してきた。このような考え方は、心理学者・岸田秀の考え方に馴染みのある者にとっては受け容れやすいというか、殆ど当たり前の話に思われるだろう。

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