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2019年12月30日 (月)

じゃこうねずみの哲学

ただ今「ムーミン展」が名古屋で開催中。(松坂屋美術館、2020年1月19日まで)

ムーミン谷の住人の中で、自分のアイドルは「じゃこうねずみ」。しかし残念ながら、じゃこうねずみのグッズは非常に少ない。フィギュアが欲しいと思っているのだが、見たことがない。やっぱりあんまり需要が見込めないのかな。今回の展覧会では、「たのしいムーミン一家」挿絵を使ったポスターカードがあったので購入した。

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「へんくつな哲学者」であるじゃこうねずみは、『すべてがむだであることについて』という本を愛読している。おそらくじゃこうねずみは、ニーチェとかショーペンハウアー系の哲学者なのだろう。

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2019年12月10日 (火)

明智光秀の人物像と謀反の動機

雑誌「歴史道」最新号の特集は「明智光秀」。同誌掲載の磯田道史と呉座勇一、両先生の対談から、呉座発言の一部をメモする。

明智光秀はどういう人物だったのか。なぜ謀反を起こしたのか。この二つは実は密接にからまっているのではないかと、私は思っています。もし巷間いわれるように、光秀が保守的な人物だったという前提に立つならば、信長の改革路線についていけなくなり、いわゆる路線対立によって謀反に至ったという解釈も成り立ちます。足利義昭が黒幕だとか、朝廷が黒幕だという「陰謀論」も、こういった捉え方に親和的だと思います。

しかし、ルイス・フロイスなどの記述によると、光秀は裏切りや策謀を好む人間であったといいます。そうなると、天下取りの野心のために謀反を起こしたという解釈になります。つまり、非常に大雑把に分けるならば、光秀が保守的であったか進歩的であったかが、本能寺の変の動機を規定する重要な要素となっているわけです。これは視点を変えれば、光秀が信長と正反対の人物だったとみるか、比較的近い人物だったかという違いでもあります。

おそらく光秀の人物を、現在知られているような伝統的・教養的・道徳的な人物として作り上げていったのは、信長や秀吉のイメージと鮮やかなコントラストを描きたかったからでしょう。
あくまでも史料に即して歴史を描く歴史学者としては、どこかで見直しを図る必要もあると思います。

・・・この対談のテーマは明智光秀のため、織田信長については詳しく言及されてはいないが、最近は信長についても、革新的人物というイメージに対する批判が提出されている。すると今までの光秀=保守的、信長=革新的という対比が、逆転とまでは言わないにしても、かなりの修正を迫られるかもしれない。そうすると、本能寺の変の原因についても、また違った角度からの見方も出てくる、ということになるのだろう。

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