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2019年11月29日 (金)

築地本願寺の「ドラッカー経営」

今年定年になった自分は、独り者ということもあり、いわゆる「終活」という感じで、既に自分の骨を納める場所を確保している。その「墓地」は、築地本願寺境内にある「合同墓」。自分は築地の聖路加病院で生まれたので、人生の初めと終わりは同じ場所にするか、という自分でも納得できるようなそうでもないような理由付けもしている。

その築地本願寺、昨夜のテレビ番組「カンブリア宮殿」が特集していた。MCの村上龍、小池栄子が迎えたのは、お寺のトップである宗務長の安永雄玄氏。

いま、築地本願寺はとにかく商売熱心なお寺になっている。共同墓のほか、展開する「ビジネス」はカフェ、グッズや書籍の販売、カルチャー教室、本堂利用の結婚式など多岐に亘る。これらのビジネスを推し進めている安永氏のキャリアの出発点は銀行。そこからコンサルタント業に転じ、多忙な日々の中、通信教育により50歳で僧侶の資格を取得。これが2005年のこと。そして2012年から築地本願寺の経営に関わり、2015年に宗務長に抜擢されたという、フィクションでも思いつかないような展開だ。

安永氏の目指す経営は「顧客主義」。ドラッカーの言う「顧客創造」と「イノベーション」の実践だという。多くの人をお寺に呼び込んで縁を結ぶ(顧客にする)ためには、顧客が何を望んでいるかを見極めてサービスを提供しなければならない。まさに、お寺の経営にビジネス感覚を持ち込んだという感がある。そこにはまた、「檀家制度」が崩壊している中でお寺が昔のやり方を続けていると、築地本願寺でさえ消えてなくなる、という強い危機感がある。

今のお寺には今の時代に相応しい役割があるだろう、と自分も思う。築地本願寺のビジネス展開は、現代社会におけるお寺の在り方を追求する試みでもある。その事業展開と経営力がどのような成果を挙げるのか、とても気になる。

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2019年11月26日 (火)

大河ドラマ踏んだり蹴ったり

来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の、帰蝶(濃姫)役の交代に絡んで、今回とは起因となる事情は異なるが、過去の交代事例もネットニュースで紹介されている。特に1974年「勝海舟」は主役の交代だったので、自分もちょっとびっくりした記憶がある。当初主役の渡哲也が病気のため、放映途中から松方弘樹に変わったのだ。自分は「勝海舟」はあんまり見てなかったけど、江戸っ子勝海舟役は、何となく松方の方が「べらんめえ」感があって良かったような気がする。やはり病気による途中交代では、1991年「太平記」の新田義貞の配役が萩原健一から根津甚八に変わったのも、かなりのイメチェンだった。主役ではないけれど、重要人物ではあったし、これも自分には結構強い印象を残した。

今回は放映前の交代だし、「代役」の女優さんは最初からのキャスティングのつもりで、がんばってほしいと思う。

「麒麟がくる」は撮り直しが必要になったため、年初からの通常通りの放映開始は断念されたようだが、見る方は誰も困らない(と思う)し、遅れること自体は別に構わないような気がする。だいたい、今どき一年間のドラマなんて長すぎるだろうと。現在放映中の「いだてん」は低視聴率に喘いでいるが、中身は一生懸命作られているし(阿部サダヲのハイテンションの演技も結構好き)、たぶん半年間の長さにしてテンポよく進めたら、ドラマの魅力がより増したのではないのかな。要するに長すぎるんだと思う。来年も、明智光秀という前半生は殆ど分からない人物を主人公にして、ドラマを一年間持たせるのは結構大変な感じがする。過去、坂本龍馬が主人公の時も、短い生涯なので同じようなことを思ったわけだが、とにかくこれを機会に、大河ドラマは一年間やることに拘る必要があるのか、そんなことも考えていいような気がする。

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2019年11月24日 (日)

映画「去年マリエンバートで」

映画「去年マリエンバートで」(1961年作品)のデジタル・リマスター版上映を観た。ずいぶん昔、自分がこの映画を観たのは1983年のリバイバル上映。同じアラン・レネ監督作品「二十四時間の情事」(ヒロシマ・モナムール)との二本立てだった。(関係ないけど、ヒロシマ・モナムールというハード・ロックの曲がある。グラハム・ボネットが歌う、割と名曲)

さて「マリエンバート」、36年ぶりに観ても、相変わらずの謎映画という印象。ていうか昔観た記憶は、ラスト近く以外殆ど忘れてた(苦笑)。でも結局これ、お話としては「駆け落ち」の話ってことだね。こういう類の映画を解釈してもしょうがないのかも知れないが、ひとつは約束を巡る男女のすれ違いを見てとれるかも知れない。女にとって一年後の再会という約束は真剣なものではなかったのだろう。しかし、男は約束を果たすために女の前に現れて約束の履行を迫る。男の方が一途で「純情」なのだ。しかも女の態度は、男の本気度を試しているかのように見えないこともない。一筋縄ではいかないのが女の気持ちというものか。
モノクロ映像はスタイリッシュで、画面には静かな非現実感が漂う。この印象から「マリエンバート」を語る際には、マグリット、デ・キリコ、デルヴォーなどシュルレアリスム系の絵画が、しばしば引き合いに出されることになる。この映像に被せて、ナーバスで不安感を誘うオルガン曲が流れ続ける。映し出されているのは、得体の知れない世界であることを暗示するかのように。何が起きているのか、ひたすら字幕を読むしかないので、こういう独白ブツブツ系映画は、吹き替えにした方がいいのかもと思ったりする。でも日本語にしちゃったら、雰囲気が壊れるかな。
結局「駆け落ち」の話を恐ろしく思わせぶりに描いている、それだけの映画といえばいえるかも知れないが、その思わせぶりの描き方を極める(のがいかにもフランス的)ことにより、一つの確固たる世界を構築し提示しているという意味では、唯一無二の映画と評価もできる。

(今年は、「東京裁判」(1983年公開)のデジタル・リマスター版も観たのだが、なぜか自分が昔同じ年に観た映画2本が、36年後の同じ年にリマスター版で現れるというのも、妙な経験だな)

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2019年11月22日 (金)

冷戦終結と「ハプスブルク」

ベルリンの壁崩壊から30年が過ぎたということで、最近の欧米における右傾化、ポピュリズムの席巻と絡めて状況の変化を論評する向きが、このところ目に付いたように思う。冷戦終結時にそこそこ流行った「歴史の終わり」(フランシス・フクヤマ)という思想は、自由な民主主義が社会主義やファシズムに勝利した、と考えていたが、30年後の現実は、その自由な民主主義が危機的な状況にあることを示している、というものだ。

30年前の当時について、少し別なことを思い出す。東西冷戦の終わりと共に「中欧」の復活が言われたことだ。それはかつて中欧を支配したハプスブルクの版図の記憶が浮上する、ということだ。実際、「冷戦の終結は、ハプスブルク史研究を大々的に活性化した」(『ハプスブルク帝国』岩﨑周一・著、講談社現代新書 2017年)のである。以下、同書からメモする。

「鉄のカーテン」の消滅は、旧ハプスブルク圏の全面的な交流を可能とした。またマルクス主義史学の影響力の減退により、王権、宮廷、そして貴族を扱った研究が活発になった。
ヨーロッパ統合の進展――とりわけEUの発足と(東方)拡大――は、ハプスブルク君主国をこれと関連づけて考察する動きをもたらした。
近代化と国民国家を理想ないし規範とする見方に疑問が呈され、複合的国制など、「前近代的」とされてきた事象に対する認識が刷新された。またこれに関連して、かつてはもっぱら否定的な概念として用いられてきた「帝国」を、多種多様な国・地域・民族を包含する超域的な政治的枠組みと意味づけ、その可能性を探る議論も、今日「連邦制」や「統合」などをキーワードとして、活況を呈している。

・・・冷戦終結後の経済のグローバル化及び国民国家の存在感の低下と共に、ハプスブルク帝国に新たな光が当てられたようにも見える。近年、グローバル化に対するポピュリズム的抵抗運動(右サイドからの疑似ナショナリズム、左サイドからの反資本主義的な格差是正の要求)が高まっているだけに、ハプスブルクの歴史に学ぶことで、多民族が共存する、多様性を活かす社会体制構築のヒントを得られる・・・かもしれないけど、岩﨑先生は、ハプスブルクを多民族共存のモデルケースとみるのは多分に美化され単純化された見方である、と釘を刺してもいる。

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2019年11月18日 (月)

「秘境駅号」に乗ってみた。

いわゆる「秘境駅」に自分も少しは興味を持っている。けど、是非行きたいという程でもない。でも行くなら今、名古屋に住んでる間かな。と考えて、乗ってみました「飯田線秘境駅号」。JR東海が春と秋に企画する観光列車だ。何でも運行10年目に突入ということで、根強い人気が窺える。

今年の「秘境駅号」のスケジュールは11月16日、17日、23日、24日、週末土日の4日間、いずれも午前の下り(豊橋から飯田)、午後の上り(飯田から豊橋)、合計8本が運行される。自分は17日日曜日の午後、上り列車に乗車。切符を取る時に、乗客は団体客が多いと聞いていたが、実際に当日お昼過ぎに出発駅の飯田駅に着くと、JTB、クラブツーリズム、JRツアーズなどのお客さんが集まっていた。

午後1時過ぎに飯田駅を出発した「秘境駅号」は途中、千代(ちよ)、金野(きんの)、田本(たもと)、為栗(してぐり)、伊那小沢(いなこざわ)、中井侍(なかいさむらい)、小和田(こわだ)、合計7駅の「秘境駅」に停車。乗客は各駅5分から15分程度の下車観光ができる。秘境駅は特急停車駅でいうと天竜峡駅と中部天竜駅の間に集中していて、秘境駅の観光自体は飯田駅出発から約3時間で終了。列車は午後6時前に豊橋駅に到着した。

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為栗駅。山と湖に挟まれた風光明媚な?秘境駅。

 

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田本駅。コンクリの崖の下で秘境駅が混雑してる。(笑)

 

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小和田駅。郷愁を誘うかのような駅舎を持つ秘境駅。

秘境駅、とりあえず行ってみました、という感じではある。今度は天竜峡温泉立ち寄りも含めて、飯田線秘境駅(を車窓から見る)の旅を自分でプランしてみようかな。

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2019年11月16日 (土)

囲碁棋士の小川誠子さん死亡

今朝、新聞の死亡欄で小川誠子さんの名前が目に入り驚いた。僕は将棋は分かるが囲碁は分からない。それでも女流棋士の草分けといえば、将棋は蛸島彰子さん、囲碁は小川誠子さんと承知はしていたわけで、女流棋士の活躍という点では、囲碁は将棋よりも先行していた印象がある。

先年、蛸島さんが棋士を引退された時は、オールド将棋ファンの僕も感慨めいた気持ちを抱いたのだが、まさか小川さんが引退を通り越していきなり亡くなるとは思いもよらないことで、囲碁が分からない自分の心の中にも寂しさが静かに広がっていった。

小川さんに限らず、自分が若年の時に各分野の第一線で活躍していた方々が亡くなるのを見るのは、やはり哀しいとしか言いようがない。

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2019年11月12日 (火)

「こんまり」と低金利

オーストラリアの政策金利は過去最低の0.75%。豪中銀のロウ総裁は「消費の見通しが引き続き不確実だ」と説明している。地元紙のコラムによれば、この低金利環境は、「こんまり」の愛称で知られる片付けコンサルタントの近藤麻理恵氏が間接的に影響している。らしい。本日付日経新聞市況欄コラム「市場点描」(豪の低金利「こんまり」が一役?)からメモ。

ここ数年、オーストラリアのテレビではミニマリズム(必要最小限まで減らす考え方)をテーマにしたドキュメンタリー番組や「ウォー・オン・ウェイスト(無駄との戦い)」といった番組がはやっている。火付け役は「ときめく」か「ときめかない」かで、不要なものを捨てることを勧めるこんまりだ。

(地元紙の)コラムでは「安価な商品の輸入に支えられた大量消費時代が終わりを告げようとしている」と指摘。安い家具や食べ物などが過剰な時代は、よく熟慮された消費主義にかわろうとしているという。こんまりが広める考え方は、あながち景気減速と無関係ではないのかもしれない。

・・・「こんまり」が世界に広がりつつあるとすれば、世界の低金利環境も続くことになるのかな。それにしても、こんまりが欧米人にも受け入れられているのは、ちょっと不思議な感じがする。不要なものにキスして「さよなら」と告げる。モノにも命があるかのようにふるまう、こんまりの流儀は、いかにも日本的アニミズムを感じさせる。欧米人の文化のベースにあるキリスト教の考え方では、創造主と被造物をはっきり区別するから、モノはあくまでモノと見ている。と自分は理解していたので、アニミズム的なこんまりが欧米人にも広まるのは何でだろう~何でだろ、と思うのだ。

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2019年11月11日 (月)

山城サミット可児大会

第26回山城サミット(可児大会)に行ってみた。山城サミットというものがあることは知っていたが、実際に見聞したのは今回が初めて。毎年一回、山城のある全国自治体のどこかで開催しているのだが、現在自分は名古屋在住なので、可児市ならば地の利ありで行けるぞという感じ。先週末9日、10日の二日間、会場は可児市文化創造センターで、10日はJR東海さわやかウォーキングのコース・ポイントにも組み込まれていた。なので当初は10日に立ち寄ればいいや、と思っていたのだが、9日のトークショーに中井均、加藤理文、萩原さちこの各氏が出ることを知り、「お城業界」をリードするトリオを久しぶりに見るか(自分がお三方を見たのは5年前、東京・お台場の「城フェス」)、という気になって、まず9日に会場に足を踏み入れた。

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行ってみて驚いたのは人の多さ。山城をテーマにしたイベントでこんなに人が来るのかと、正直驚いた。館内には、全国各地の出展者によるお城紹介ブースが集結。館外には飲食屋台が並び、天気も良くて盛況のひとこと。トークショーの行われる大ホールは1000人規模のキャパということだが、ほぼ満席状態。トークショーではお三方に、イラストレーターの香川元太郎氏、マンガ家の宮下英樹氏が加わり、おなじみ春風亭昇太師匠もビデオメッセージで参戦した。

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自分は10日のさわやかウォーキングにも出動して、再びサミット会場に立ち寄ったのだが、当日目玉イベントの可児市内山城巡り(美濃金山、久々利、今、明智の4城)のシャトルバス発着所には、各山城行きのバスを待つ人の長い列ができていて、こんなに多数の人が山城を訪ねるようになったのかと、もうとにかく感心するばかりだった。

なるほど今は、山城イベントが集客力の面から普通に成立する時代なのだと、遅まきながら認識した。萩原氏が子供の頃自分が城好きであることを隠していたと話していたが、どうやら今は、趣味はと問われて「山城歩き」と普通に答えられる世の中になったようです。

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2019年11月 8日 (金)

「関ヶ原」企画展 in 下関

文化の日の振替休日である11月4日、下関まで遠征して、「関ヶ原 天下分け目と毛利氏の戦い」展(下関市立歴史博物館)を見学した。

最近自分的にはなぜか「毛利シーズン」で、9月には毛利軍陣地である南宮山に上り、垂井・歴史民俗資料館のミニ展示「南宮山攻防戦!」も見学。さらに東海古城研究会の関ヶ原バスツアーで訪ねた関ケ原町歴史民俗資料館で、件の展覧会のポスターが目に付いて、「こりゃあ行かなきゃあ」となった次第。名古屋からだと、博多辺りまでは日帰り旅行の範囲内だし。

新幹線の新下関駅からバスに20分程乗り、「城下町長府」下車。町中を流れる小さな川沿いの道を10分程歩くと、博物館(の裏手)に着く。

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博物館内の割とこじんまりした企画展示室には画像、書状、屏風など多彩な史料が集められていた。当日は午後1時半から学芸員さんの解説が始まったが、お客さんは30人くらいと結構多くて、展示室内はちょっと混雑した感じに。学芸員さんの解説は画像と屏風中心。自分が聞きたかったのは書状の解説だけど、しかしそれは多人数向きじゃないなと納得。

書状で自分が興味を持ったのは、まず毛利の重臣である吉川広家が国元にあてた書状。日付は決戦三日前の9月12日。書状の中で広家は、味方(西軍)は大軍だが、まとまりがないことを伝えている。
関ヶ原合戦当時、加藤清正が黒田如水に送った書状も面白い。両者とも九州にいたわけだが、清正は、吉川広家と小早川秀秋に(離反の)噂があるが、本当にそうなるだろうと述べている。関ヶ原から遠く離れた九州にまで情報は伝わっていたし、書状の日付は9月16日で、既に前日の15日に清正の予想は現実になっていたわけだ。

関ヶ原合戦当時、毛利家は輝元と秀元(養子)、秀就(実子)を巡る後継者問題のゴタゴタを引きずっていたようだ。安国寺恵瓊と吉川広家の対立もあり、毛利軍は一枚岩ではなかった。決戦のかなり以前から東軍の黒田長政と連絡を取り合っていた広家はおそらく、徳川家康が戦場に到着した時は直ちに和睦する腹を決めていたのだと思う。

決戦の前日9月14日に東軍との和睦を成立させた広家は、これで毛利家は安泰とほくそ笑んだのではないか。しかし戦後処理の結果は、毛利領地の大幅削減。当てが外れた広家は、苦い思いを味わったことだろう。

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2019年11月 6日 (水)

「新版画展」in 恵那

先日、恵那駅から程近い中山道広重美術館で開催中の「新版画展」を見に行った。(12月8日まで開催)

展覧会の副題に「巴水・古邨・深水を中心に」とある。それぞれ川瀬巴水(風景画)、小原古邨(花鳥画)、伊東深水(美人画)なのだが、やはり新版画といえば川瀬巴水、という感じがする・・・と言っても、自分が巴水を知ったのはごく最近(苦笑)。展覧会で巴水の作品を自分が見るのは、4年半ぶりになる。今回の展覧会では期間中、「日本橋 夜明け」や「芝 増上寺」など巴水の16作品が展示される。パンフレットから新版画の解説部分を、以下にメモしてみる。

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新版画とは、大正初期から昭和にかけて描かれた木版画を指します。江戸時代の浮世絵と同じように、版元を置き、絵師、彫師、摺師による分業によって制作されていました。
新版画を生み出し、発展させたのが、美術商で浮世絵の輸出に携わっていた渡邊庄三郎(1885-1962)という人物です。

明治中期頃から、浮世絵の生命は脅かされていきます。江戸時代、マスメディアとしての役割も担っていた浮世絵は、情報を伝えるという面では新聞や写真に太刀打ちできなくなっていきます。加えて、当時は西洋文化への賛美や江戸文化への蔑視もあり、浮世絵の衰退は著しいものでした。この状況を案じた庄三郎は、同時代作家の下絵を彫師と摺師の手を経て、純粋な絵画として木版画を完成させるという新事業に乗り出しました。これが新版画の始まりです。

明治期には彫りや摺の技術は最高潮に達しており、新版画は江戸時代の浮世絵と異なる芸術性を獲得します。
そして川瀬巴水や伊東深水などの画家が登場し、大いに活躍しました。

・・・光と闇、雪や雨、水面、そしてグラデーション・・・巴水の作る色鮮やかなイラストのような版画作品の美しさは、いわば現在を直ちに追憶化するかのような感受性の力が生み出したものではないかと思う。

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2019年11月 5日 (火)

蘭奢待と信長

先日、東京・上野の東京国立博物館で開かれている「正倉院の世界」展に足を運んだ。休みを取って平日に行ってみたのだが、朝10時に着いた時点で入場まで30分待ちの行列が出来ていて、こういう文化的関心の高さを目の当たりにすると、日本人恐るべし、という感じだ。(同展開催は11月24日まで)

今回の自分のお目当ては、香木の蘭奢待。実は過去、本拠地奈良の「正倉院展」で公開された時に見に行ったことがある。それが1997年のこと。なので、自分的には22年ぶりの再見になる。まあ何にしても、ガラスケースの内部に展示された香木を見るだけでは、当然その香りを経験できないのだから、名香の名香たる所以は実感できないんだけど。

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蘭奢待といえば織田信長。自分は、池上遼一の劇画「信長」で蘭奢待のことを知った。22年前に蘭奢待の現物を見に行ったのも、この劇画の印象が強かったから。信長が天皇の許可を得て蘭奢待切り取りを果たしたのは、天正2年(1574)のこと。以下に「信長公記」(現代語訳)からメモしてみる。

奈良の東大寺に収蔵されている香木「蘭奢待」を頂戴したいと、信長が宮中へ願い出た。3月27日、信長は奈良の多門の城へ出向いた。信長の特使として東大寺へ派遣された者は、佐久間信盛・柴田勝家・丹羽長秀・荒木村重など。3月28日、辰の刻(午前8時前後)に蔵(正倉院)が開かれた。その名香は長さ六尺の長持に収められていた。すぐにこれを多門の城へ運び、お成りの間の舞台で信長に見せた。信長は、蘭奢待を先例にならって一寸八分切り取らせた。お供のお馬廻り衆は、「後々の話の種に見ておくがよい」と言われて、それを見せてもらった。
古くから伝世されてきた香木を切り取ることができたのは、信長の威光によるものである。昔、東山殿(八代将軍足利義政)が切り取って以来、代々の将軍のなかにもこれを所望した人が何人もいたが、何分にも特別のことであるから許可されなかった。我が国でこれ以上の名誉、面目をほどこしたことは、他にあっただろうか。

・・・というような次第。しかし池上劇画が心に残したインパクトは強い。やっぱり「信長」の蘭奢待の話を再読したくなる。

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