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2019年6月23日 (日)

「関ヶ原」シンポジウム in 小倉

本日は九州・小倉で開催された歴史シンポジウム「関ヶ原の戦いを再検討する」(佐賀戦国研究会の主催)に足を運んだ。はるばる遠征したのは、講演者の顔ぶれに引きつけられたからだ。関ヶ原新説をリードする白峰旬、高橋陽介、乃至政彦の3氏が揃い踏みなのである。名古屋からだと新幹線で3時間乗れば着くから日帰りでOK。転勤で名古屋在住である我が身を有り難いと思った。

会場のKOKURAホールは、小倉駅から徒歩10分程度の場所にある。ビルの中の大きめの会議室という感じで、参加者はざっと50名程度か。シンポジウムの進行は、白峰先生(豊臣七将襲撃事件はあったのか)、高橋先生(「九州の関ヶ原」と加藤清正)、乃至先生(上杉景勝の用兵思想と政変戦略)の順に、各40分程度講演。その後3氏が互いの発表内容について意見交換を行った。

白峰先生は既に「問い鉄砲」「小山評定」は無かった(フィクションである)と主張しているのに続いて、豊臣武断派武将の石田三成襲撃事件もフィクションとの説を提示。白峰先生の手にかかると、関ヶ原の「見せ場」はみんな無くなっちゃう(笑)。でも、言われてみれば現実の動きはそんなに劇的な展開であるはずもないよな、と納得してしまう。

このほか、加藤清正という人物は過大評価されているとか、上杉景勝が徳川家康との戦いを決意した動機を探るべき、との興味深い観点も出された。確かに歴史上の人物は、その行動は把握できても、何を考えていたかまではなかなか分からない。

関ヶ原だと自分は、福島正則が何を考えていたかが結構気になる。豊臣秀吉子飼いの武将である正則は、なぜ徳川家康に味方したのか。石田三成憎しから? そんな単純な話じゃないだろう。家康が一番多く手紙を出した相手は正則だった。いつ手のひらを返すか、気が気でなかったらしい。実際、関ヶ原では最後まで東軍先鋒を務めた正則の動きが、戦局の行方を大きく左右したわけだし。加藤清正が過大評価される一方で、福島正則は過小評価されていると思う。

それはそうと、本日のシンポジウムでは、関ヶ原合戦の白峰説、高橋説の相違点についてストレートな議論があるかも、と期待してたけど、それは無し。そこは少し残念な感じでした。

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2019年6月22日 (土)

「やさしくなりたい」

年を取ると、はやりの音楽にとんと疎くなる。なので、たまたまある曲を「発見」すると、それがかなり前の歌だったりすることにも気づいて、こんな曲があったんだ~と今さらながらに感心してしまうという、いささか間抜けな経験をするわけだ。

自分が最近気に入っている曲で、斉藤和義の「やさしくなりたい」という歌がある。これは2011年に出た歌だそうだ。何でこの曲を今頃になって知ったのかというと、今月DVD及びブルーレイが発売された桑田佳祐の「ひとり紅白歌合戦」の中で取り上げられていたのを聞いた、という案配だ。

とにかく何かよく分からんけどカッコイイ曲だな、と思って斉藤和義のCDも何枚か買って聞いてみた。基本的に日本のロックという印象なのだが、何かこの歌だけテイストが違う感じがある。ドラマの主題歌ということも知らなかったのだが、余計な印象抜きで曲そのものを聞けたのは良かったかも、と思う。

この歌を「ひとり紅白歌合戦」のセットリストに入れた桑田さんにサンキューである。

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2019年6月15日 (土)

「老後2000万円」問題?

「老後に2000万円必要」との記載が「騒ぎ」になっている、金融審議会の市場ワーキング・グループ報告書。「高齢社会における資産形成・管理」とのタイトルが付けられたこの報告書のメインテーマは、「高齢社会における金融サービスはどうあるべきか」であり、長生きできる社会の中で、個々人がリタイア後に望む生活水準を実現維持するためには、現役時代から資産形成に取り組む必要があり、その手段としては長期積立分散投資を柱として、国は制度面から環境をさらに整えると共に、金融業はサービス面から個々人を一層強くサポートしていかなければならない、ということを提言している。

なので、年金がどうこう言ってるのではないし、ましてや「老後2000万円」だけを切り取られて騒がれるのは、報告書の関係者にとって実に心外なことだろうと思う。金融業者である証券会社社員である自分も、「何だかなあ」という気分になるのである。

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2019年6月13日 (木)

「デフレ均衡」と「貨幣愛」

昨日12日付日経新聞記事「エコノミクストレンド」(執筆者は小林慶一郎・慶大客員教授)からメモする。

先進国、中でも日本は、緩和型の金融財政政策のもとでデフレが長期的に続く「デフレ均衡」に陥っているとみるべきだろう。

長期のデフレ均衡という現象を理解するためには、「人間の選好は不変」としてきた通常の経済学のモデルではなく、「人間の選好は可変的」という考え方に立つことが必要なのではないか。なんらかの環境変化で人間の効用関数が変わるなら、人間が過剰な「貨幣愛」を持つようになる可能性がある。貨幣愛とは、本稿では「貨幣や国債など金融資産を保有することから感じられる(根拠のない)効用」とする。これは一種の「バブル」あるいは幻想である。
人々が金融資産に価値を感じるのは、通常は将来の財・サービスの消費を可能にしてくれるからだ。しかし、例えば資産保有が社会的なステータスを表現するシグナルとなっている社会では、人々は金融資産の保有に社会的「価値」を感じる。
筆者が最近研究しているモデルは、人間は「自分の子孫が貨幣愛を持つ」という世代間の期待によって、自分自身も資産に過剰な価値を感じるようになるというものだ。

社会的ステータスや世代間の期待からバブル的な貨幣愛が生じると、資産(政府債務)が過剰に蓄積されてしまう。資産が増えても財・サービスの購入には使われず、無限に蓄積されてデフレが続く。こうして長期的なデフレ均衡が発生するわけだ。

・・・バブル崩壊以降、平成は基調的にデフレの時代だった。令和の時代になった今も、デフレ完全脱却とは言えない状況が続いている。「異次元」の金融緩和でも大きく動かせない、この経済的現実を、通常の経済理論で説明するのは容易ではないようだ。今、この世界で一体全体何が起きているのやら。

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2019年6月12日 (水)

ガバナンス改革の虚実

「コーポレートガバナンスの目的は、中長期的に企業をどう成長させるかにある」と言うのは、オリックス出身の経営者、宮内義彦・日本取締役協会会長。本日付日経新聞記事「そこが知りたい・ガバナンス改革なぜ進まぬ」からメモする。

「政府などから要請される格好でガバナンスの形は作ったが、中身がない。多くの企業がとりあえずガバナンスコードの基準をクリアしたことに安心しているように見受けられる」
「企業のトップにとって、お目付け役のような社外取締役の存在は疎ましいだろう。それが普通の反応だ。しかし、マネーが世界を駆け巡るなか、日本企業の経営も透明性を確保しなければならない」
「社外取締役も勉強不足だ。米国ではむしろ社外取締役は重責で、成り手が少ない。しっかり経営を監督していないと株主から訴えられるからだ。日本のように最高経営責任者(CEO)の友達や知り合いに社外取締役を頼むといったなれ合いなどない」
「社外取締役の役割はCEOの業績評価と後継者の育成や人選だ。執行側の見解や行動をじっくり見ていればいい。経営への助言やアドバイスなどはコンサルタントにやらせればいい」

・・・数ヶ月前の日経新聞紙上で、日立出身の経営者、川村隆・東京電力ホールディングス会長も「ガバナンス改革で大事なのは形ではない。一番大事なのは、社長をいつもちゃんと見ている人がいるかだ。良い社外取締役が一人いれば十分で、何人が必要などとルールばかりつくろうとするから話がややこしくなる」と語っていた。

経営の監視役の頭数ばかり揃えてもガバナンスが機能するとは限らないわけで、当然その質が評価されなければならないのだが、それは結局外部からは分かりにくいのが悩ましいところだね。

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2019年6月 4日 (火)

哲学シンキング!

先月中旬の日経新聞で「哲学対話」がある公立高校を変えた、という記事を読んで感心していたら、今度はビジネス雑誌で、企業が「哲学シンキング」を導入、という記事が目に止まり、「むむむ。いったい何が起きているのだ」という気分になったぞ。今週の「週刊ダイヤモンド」(6/8号)からメモする。

日本では耳慣れない「哲学コンサルティング」企業、クロス・フィロソフィーズの吉田幸司社長は言う。「人文学不要論が叫ばれる一方、ビジネスでも答えのない問題が次々に出てきている。そのような難問に有効なのが哲学だ」と。

哲学シンキングと呼ばれるワークショップ(体験型講座)は、従来のブレストや会議とどこが違うのか?
「ロジカルシンキングやクリティカルシンキングの基盤である論理も哲学がつくったが、合理的な議論だけでは物事を分析できてもイノベーションを起こせない。このメソッドの柱は「問い」にある。問いに問いを重ね、前提をさかのぼることで課題の本質に迫れるだけでなく、議題の過程で別の視点や突拍子もない意見が出ることにより合理的な議論が“脱臼”(破綻)し、議論が再構築されてクリエーティブな発想が生まれる」

哲学シンキングは5つのステップから成るが、その前段階でファシリテーターはワークショップのテーマ選びを行う。ワークショップ当日は、ステップ0として「場の設計」を行う。参加者の人数は初心者であれば6~8人が理想だ。ステップ1は「問いの収集」だ。続くステップ2で、集まった問いをグルーピング。ステップ3でさらに問いに問いを重ね、グループを越境しながら議論を体系化する。そして、ステップ4で、それまでの議論を振り返り、核心/革新的な問いや課題の本質を参加者と発見していく。

・・・先の日経記事にも登場していた吉田社長は哲学博士にして起業家、36歳とまだ若い。それにしても短期間に「哲学対話」やら「哲学シンキング」やらの話を目にすると、先日初めて哲学カフェに身を置いてみたオイラも、もう少し参加しておいた方が良いかなという気になる。

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2019年6月 1日 (土)

MMTって、どうなの?

最近しばしば目に付くMMTなる経済理論。5月31日付日経新聞「経済教室」(現代貨幣理論MMTを問う)からメモする。執筆者はシティグループのエコノミスト、キャサリン・マン氏とウィレム・ブイター氏。

MMTの基本的な前提は独自の不換通貨を持ち、公的債務(国債)の大半が自国通貨建てで、かつ為替が変動相場制をとる主権国家は決して破綻しないというものだ。そうした国は公的部門のすべての赤字を通貨増発で手当て(財政ファイナンス)できるため、公的債務がどんなに膨張しても心配には及ばないという。
MMTによれば、財政支出を停止しなければならないのはインフレが行き過ぎた場合だけで、現時点で低インフレのほとんどの先進国は財政支出を控える必要はない。日本はまさにこの理論が当てはまるという。
日本が流動性のわなに陥り、金融政策が効かなくなっていることは明白だ。現在のインフレ率も近い将来高インフレになる危険性も、財政支出や財政ファイナンスを打ち止めにすべき水準にはほど遠い。

MMTが最近注目されるのは、現在の低インフレと超低金利の組み合わせが、財政ファイナンスに関するMMTの主張にとって理想的な環境を形成しているからだ。この環境に限ればMMTの中心的な主張(通貨増発による財政出動の拡大)は成り立つ。

国家はいつでも通貨を増発して債務返済に充当できるから、自国通貨建ての国債のデフォルト(返済不履行)はあり得ないという主張は、財政ファイナンスがハイパーインフレを誘発すれば、デフォルト以上に多大なコストが生じかねないことを無視している。

ひとたび流動性のわなを脱したら、巨額の財政ファイナンスが引き起こすインフレは日本にとって深刻な問題となろう。

・・・ハイパーインフレというと、自分的には藤巻健史氏や岩井克人先生の語るところが思い出されるけど、何というか経済理論はインフレが起こる筋道を示してくれるにしても、結局インフレが現実にいつ起こるかという予測はできないわけで、そこが何だかなあという気持ちになってしまう。

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