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2019年3月17日 (日)

関ヶ原合戦研究の難しさ

先頃、呉座勇一先生が関ヶ原合戦新説の整理と批判を行う講座に、2回参加した(2月4日中日文化センター・栄、3月16日NHK文化センター・京都)。

呉座先生の評価は、近年の新説が主に依拠する吉川広家書状案など覚書類は、後世の軍記物より信頼できるとはいえ、あくまで「回顧録」であり、覚書類で合戦の姿がどこまで復元できるかは慎重に見たい。関ヶ原合戦研究の難しさは、史料が非常に少ないところにある。通説は崩れているが、それに代わる確かな合戦の姿を示すのも難しい、というものでした。

まあ学問的にはそういうことなんだろうな、と了解する。信頼できる史料の批判に基づき、過去の事実を復元する、という歴史学の基本的なアプローチからすれば、白峰、高橋両先生がリードする関ヶ原新説はいろいろ推測が入ってくるので、どこまでホントなのか分からないと言えば分からない。正確性を第一に求めるならば、史料のないことは分からないというのが、学問的には正しいのだろう、とは思う。

とは思いながらも、関ヶ原合戦はもともと史料が少ないところで、時間の経過と共にあれやこれやストーリーが作られ加えられてきて、今見るような通説になったしまったわけだから、それはさっさと「お話」として脇に置いて、改めて史実は何か、あえて合理的推測も加えて踏み込んで考えないと、歴史の理解は進まないという感じもする。

呉座先生のほかには、桐野作人先生は関ヶ原新説をどう評価しているのか気になりますね。

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