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2019年3月22日 (金)

「世界史のリテラシー」

『サピエンス全史』が話題など世界史ブームの裏側には、「世界史のリテラシー」への渇望があると言うのは、山下範久・立命館大学教授。「世界史のリテラシー」とは、歴史のディテールや物語性の裏側を見通す力、「歴史がそのように書かれているのはなぜか」を適切に問う力だという。東洋経済オンライン本日付発信記事から、山下先生の話の一部を以下にメモする。

歴史は過去の再現ですが、過去のすべてを完全に再現することはできません。書かれたもの(あるいは語られたもの)としての歴史には必ず事実の取捨があります。意味のある、筋の通った歴史であればあるほど、その取捨にはなんらかの論理を具えた枠組みがあります。例えば清教徒革命やフランス革命が世界史の重要な事件とされる背後には、議会制民主主義の成立を近代社会の本質として歴史を見る枠組みがあります。

協調を志向するリベラルな国際秩序、議会制民主主義、経済成長を前提とした豊かな社会、理性的行為者として平等な「人間」など、私たちがなじんできた「世界史」の主題や基調は、こうした「近代」の達成の物語を描く枠組みに深く埋め込まれています。

しかし実際には、その枠組みの前提で「近代」の「達成」とされているものが、まさに今揺らいでいるわけです。このことは、ただちに近代が終わったとか、近代的な価値がただのイデオロギーでしかなかったということを意味するわけではありません。しかし、これまでの枠組みを、さらに広い視野やさらに深い次元に開いて位置づけ直す必要が出てきたと言うことはできるでしょう。

(世界史の本が読まれるのは、)深い次元での世界史への枠組みへの関心、つまり「世界史のリテラシー」を鍛え直したいという願望が読者の皆さんに潜在的に共有されているからだと思います。危機の時代とは、「世界史のリテラシー」への飢えが高まる時代なのです。

・・・どうやら、世界史を考えるとは近代を捉え直すということのようだ。近代批判のムーブメントは、80年代の半ばに「ポストモダン現代思想」ブームとして現われたが、昨今は思想よりもっと具体的な、歴史的事象の捉え方を問い直す「世界史ブーム」として現われているようにも思える。(最近の柄谷行人が「世界史」の本を書いているのも納得、という感じだ)

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