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2019年3月24日 (日)

『メタル脳』

脳科学者中野信子が愛する音楽は何とヘヴィメタル。「社会的な存在である人間のネガティブな部分に向き合う」メタルは、「愛とか恋を叫ぶ歌よりも」「音楽として本源的でまっとうだと感じた」とのこと。ここでいう「ネガティブな部分」は、「非社会的な部分」と言い換えても良い。人間(ホモ・サピエンス)は自らの生存戦略として、社会を作ること、社会性を獲得することを選んだ。しかし個人レベルでは、社会性を発揮するのが上手な人とそうでない人がいる。そしてメタルファンの多くは後者ではないか、という。彼女が愛を込めてメタルを分析する『メタル脳 天才は残酷な音楽を好む』(KADOKAWA発行)からメモする。

一般的にメタルは「反社会的」なものとして認知されていると思われますが、わたしは「非社会的」という言葉のほうが合っていると見ています。「社会的であること」は生存競争において長らく人間の最強の武器でした。しかし、じつは近年その傾向が変わってきています。それは現代では、それまで必要なはずだった人間関係を持てば持つほど、そのことがリスクになる世の中になりつつあるということです。わたしたちにはまったく新しい戦略が求められていると感じます。そのひとつになり得るのが、社会から抜け出そうとする「非社会的」というアプローチだと考えています。

外向性の高さとは、要するにまわりを日和見る能力です。逆に言えば、「非社会的」な人は日和見の能力が低いわけで、「日和らない」基準を持った人と言うこともできます。外からの視線が判断基準にならず、自分の感情や経験に忠実であり、ていねいに思考を積み重ねることもできます。「ここだけは譲れない」という、自分だけの基準をつくりやすい人たちなのです。繰り返しになりますが、内向性の高さが、同時に社会からの影響の受けにくさであるなら、それはこれからの社会を生きるうえで強力な武器となるでしょう。なぜなら、いまの時代というのは社会そのものがリスクだからです。

メタルは、社会通念を打ち破ってくれそうな期待感を抱くに足る音楽です。一般的な人たち、「社会的」な人たちが信じているきれいごとの世界のことを社会と呼ぶならば、それに対して「ちがう」という意思表示をすることがメタルです。欺瞞に満ちた社会に対して、暴力によらずに音楽の力で強烈な一撃をくらわすこと、それこそがメタルの存在意義なのです。

・・・中野信子が論じると、メタルが知的な音楽に思えてくる。(苦笑)

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