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2019年1月18日 (金)

名古屋城木造復元の行方

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石垣調査中の名古屋城(2019年1月15日撮影)

昨日夜、「名古屋城天守閣木造復元市民向け説明会」に出てみた。場所は熱田区役所。今日の報道によると、250名分の席が用意されたところに、話を聞きに来た人の数は38名。河村市長の挨拶から始まり、名古屋市及び竹中工務店からの説明、質疑応答という進行。参加者からの質問は、反対あるいは批判的な立場から発せられたものが大部分だった。

個人的には名古屋城木造は「狂気の沙汰」としか思えないが、会場で出された「金の無駄遣い」「バリアフリーを軽視するなんて障害者を馬鹿にしている」という類いの批判は、いかにも「市民的」で正直つまらない。同感したのは「文化庁に復元計画の受け取りを拒否されている理由を明らかにせよ」という質問。そこが肝心だね。(回答は、審議中なので明らかにできない、という分かるような分からないような説明だった)

文化庁に計画を提出する次の機会は今年5月と聞いているが、まず石垣保全問題等をクリアしなければ、文化庁が計画を許可する可能性はほぼゼロだろう。そうなれば2022年末完成という目標は見直し必至だ。

石垣部会のメンバーである千田嘉博先生は、そもそも完成期日ありきの計画に無理があると語っている。名古屋市が本当に価値のある文化事業だと考えているなら、じっくり取り組むほかに手は無いだろう。(千田先生の言うことに従えよ。笑)

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2019年1月16日 (水)

歴史は科学か文学か

1月12日付日経新聞コラム記事「半歩遅れの読書術」(執筆者は国際政治学者の国分良成)では、E・H・カーの『歴史とは何か』、岡田英弘『歴史とはなにか』が取り上げられている。以下にメモする。

カーは、歴史上のさまざまな事象の原因についての仮説を立て、あらゆる過去の史料を駆使してそれを検証し、そうした作業の中から一定の法則性を見いだし一般化することが、現在と将来への教訓として役立つと考える。この点で、歴史は科学であり、理性を通して人類の進歩に貢献しうると主張する。

「歴史は物語であり、文学である。言いかえれば、歴史は科学ではない」と、岡田氏は言い切る。歴史は「ことばで組み立てるもので」、人間による現実の政治支配を正統化することから始まっており、結局のところ、歴史の中心を成すのは政治史だという。しかも歴史には古代史と現代(=近代)史の2つしかなく、「中世」というような進化論的な発展段階を入れるのは誤りで、現代史は19世紀に「国民国家」が成立し、「国民」の概念が歴史に挿入されてから始まったというのである。

しかし、この2人の泰斗には本質的な部分で共通点がある。両者ともに、歴史は歴史家によって組み立てられ、歴史的事実の解明には史料の精査・読解とそれに対する広い視野からの意味づけが必要であり、そして歴史ほど面白く人生を豊かにさせるものはない、という立場で一貫している。

・・・歴史学は科学である。その方法は史料の批判的検討。ただしさすがに今では、法則を見出すことまでは目的としていないだろうな。
歴史学の始まりは、国民国家の自己正当化のストーリー、だと思われるけど、今はそれこそグローバルヒストリーで、国民国家の来歴を超える同時代の地域横断的なストーリーが探求されている、ということなんだろうな。

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2019年1月15日 (火)

福島正則の転封

1月12日付日経新聞コラム記事「日本史ひと模様」(執筆者は歴史学者の本郷和人)に、豊臣秀吉子飼いの武将・福島正則が江戸時代の初め、将軍・徳川秀忠に事実上改易された事件の顛末について書かれているので、以下にメモする。

元和5年(1619年)、安芸・備後の太守・福島家は台風で破壊された広島城を修繕したが、これが居城の作事は必ず公儀へ届け出よ、とする『武家諸法度』違反に問われた。藩主の正則は2ヵ月前に言上したつもりだったが、幕府はそれを公的な届けと認めず、正式な許可を出していなかった。

福島側の言い分としては、城の防御力を高める工事ではない。雨漏りする部分を修繕しただけ。江戸にいた正則が自ら謝罪し、修繕部分を破却するという条件で騒ぎは一旦は収まったのだが、幕府が要求した「本丸以外の修繕分も破却」という条件に対し、正則は本丸のみ破却をおこない、二の丸・三の丸の修繕分は放置した。

これを知った将軍・秀忠は「破却が不十分である」と厳しく咎め立てた。結果、安芸・備後50万石は没収、一時話が出ていた弘前ではなく、信濃・川中島の高井郡など4万5千石(高井野藩)に減転封の命が出された。

こうした経緯を見ると、幕府は豊臣子飼いである正則の左遷を、虎視眈々と狙っていたと見るべきだろう。
移封後、正則は嫡男・忠勝に家督を譲ったが、その忠勝は翌年、早世した。寛永元年(1624年)、正則は高井野(長野県高山村)で死去した。享年は64。すっかりやる気を無くしていたかと思えばさにあらず、領主であった5年間に、領内の総検地、用水の設置と新田開発、治水工事などの功績を残している。

・・・豊臣恩顧の大名ながら、関ヶ原の戦いでは徳川家康側に付いて奮戦した福島正則。大大名に出世し、豊臣氏滅亡も見届けた後の急転落だったが、めげることなく晩年も治世に励んでいたとは、男気を見せたというところか。戦国武将好きには、加藤清正や石田三成の方が人気があるようだが、福島正則ももっと関心を持たれても良い人物だと思う。

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2019年1月14日 (月)

猪子石神明社

Photo 今日は猪子石神明社に行った。
自分は今年、定年イヤーである。つまり還暦の年男である。
自分の干支である猪にちなむ神社が、しかも現在住んでいる名東区にあると聞いて、行くことにした。基本的に信心が無いから、初詣もまだしてなかったし。(苦笑)
思い返せば12年前の猪年の正月も名古屋にいて、その時はやはり「猪系神社」である近江の綿向神社まで行ったことがある。今回はたまたま藤が丘に住んでいて、たまたまテレビで神社の存在を知ったということで、妙な巡り合わせだな~と一人で感心した。
藤が丘駅から市バス「引山行き」(1時間に1本しかない)で15分、終点の引山から西の方向に歩いて5分程度のところに神社はある。
本日は正月飾りなどを焼く「どんど焼き」実施中。年明けから2週間が過ぎたけど、意外と参拝客が多くて賑わっている。
自分の干支にちなむ神社に行くというのは、信心の無い自分が参拝に行く理由としては、割と納得感高いと思いました。

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2019年1月13日 (日)

中国春節祭なのです。

ただ今、中国春節祭が栄の久屋大通公園で開催中(第13回、明日14日まで)。ランタンが登場したのは、今回が初めてらしいです。Photo_2 日本人はクリスマスは一大イベントにしているのに、旧正月はスルーしている。新暦で正月を祝うから、ということなのかも知れないが、季節感としては寒さのピークを過ぎる頃の旧正月(今年は2月5日)の方が、「新春」「初春」感があるように思う。なので1月3連休のイベント開催は早すぎる感じ。

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