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2018年12月15日 (土)

「安土大阪」時代

たしかに安土桃山時代という呼び名は、自分も子供の頃から何かヘンだなと感じていた・・・以下に『大阪的』(井上章一・著、幻冬舎新書)からメモする。(なお井上先生は、近世以前は「大坂」表記が通例だが、近現代の「大阪」で表記して構わないとしている)

「安土桃山」時代という言い方がある。織田信長が足利義昭とともに入京してから、豊臣秀吉が亡くなるまでの時代をさす。
基本的には、信長が天下をめざし、秀吉が天下人となった時代を意味している。「安土桃山」の「安土」は、信長のきずいた安土城に由来するだろう。「桃山」は、秀吉の居城となった伏見城が桃山にあったことから、そう名ざされた。

信長の時代を「安土」時代とよぶことに、私も反対はしない。しかし、「桃山」時代には、どうしてもひっかかる。

秀吉が自らの拠点として、その造営に心血をそそいだのは大阪城であった。のちには天下の台所と言われる大阪という街を、ほとんど一からこしらえた。
信長の足跡を「安土」でしめすのなら、秀吉の業績は「大阪」であらわすべきだろう。信長秀吉時代、いわゆる織豊時代の呼び名には、「安土大阪」時代こそがふさわしい。かつて、歴史家の脇田修はそう喝破したが、私もそのとおりだと思う。

だが、歴史教育のあり方を東京で左右する人びとは、「大阪」時代をみとめない。

・・・以前の著作で井上先生は、新しい時代が関東から始まる(鎌倉時代、江戸時代)見方を批判していた。平家から、織田豊臣から、新しい時代が始まったと見るのが妥当ではないかと。「東大史観」対「京大史観」という言葉も使っていた覚えがある。『大阪的』では、古墳時代を「河内時代」と呼んでもいいのでは、とも述べている。歴史学においては、関西や大阪が不当な扱いを受けているという主張には、頷けるものがある。大体、日本という国は西から発展し、西が中心であった時代が長いわけだしね。

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