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2018年7月22日 (日)

グラハム・ボネット、健在だあ。

グラハム・ボネット・バンドの新作「ミーンホワイル、バック・イン・ザ・ガレージ」を購入した。CDプラスDVDの「デラックス盤」である。DVDは今年1月にニューヨークで収められたライブ盤。まあ新曲に期待する気持ちがあるとは言えないので、グラハムが有名曲を歌うライブDVD目当てに買ってしまうわけではある。

場所はホールではなく、こじんまりした感じのライブハウス。オーディエンスは着席して飲食している前で、グラハムの熱唱が続く。アルカトラス、レインボー、マイケル・シェンカー・グループ・・・いずれもハード・ロックの名曲といってよい楽曲のオンパレードだ。グラハムの声量、シャウトの迫力、歌の安定感は、とても70歳の人のものとは思えない。でも、足下に何枚か紙が並べられているのは例の?歌詞カンペなんだろうか。それもまあご愛敬ですけど。

しかしグラハムさん、本人はヘヴィメタルは嫌いだと言いつつ、結局ハードロックで商売している不思議な人だ。まあ結局、グラハムさんに求められるのはハードロックということなんだろう。人から求められることで商売するのはノープロブレムだし。実際自分も30年以上前に聴いていた曲を、今でも好んで聴いてしまうわけだし。ということは、何だかんだ言っても、リッチー・ブラックモアやイングヴェイ・マルムスティーンは大したもんだ、ということにもなるんだろうね。

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2018年7月18日 (水)

映画「終わった人」

これは「終わった人」ではなく「終われない人」の話だな。というのが、映画「終わった人」を観た時の感想。あるいは「卒婚」の話なのかな。原作は内舘牧子のベストセラー小説。自分は読んでないので、小説の内容が映画にどれ位盛り込まれているのか分からないが、上映時間2時間は少し長いなと感じた。

しかし、主役の舘ひろしはミスキャストだろうと思って観たら、やっぱりミスキャストだった(苦笑)。主人公は東大卒、メガバンクに勤めて子会社出向で定年を迎えたサラリ―マン。屈折を抱えたエリートである。はずなんだけど、やっぱりそうは見えない。広末涼子との「恋」も、舘ひろしならもしかして上手くいっちゃう?と思わせてしまうので、それだと何か違うなという感じがする。こういう主人公は、主役をやる俳優よりも、バイプレイヤーのやる役なんじゃないかと。それこそ故大杉漣、遠藤憲一、松重豊とかね。

昨今「人生100年時代」「生涯現役」などの言葉も行き交うなか、「定年」という概念も徐々に消えていくような気配もある。「週刊ダイヤモンド」(7/14号)に、「人生後半戦の働き方」として、①中小企業・事業を買収して経営者になる、②独立して個人事業主になる、③定年前後に転職する、④定年後再雇用制度を利用する、の4つが挙げられていた。しかし①②③ができるのは、サラリーマンのごく一握りという感じがする。

まあレベルは人それぞれにしても、「終われない人」が既に多数派になっている気配もあるし、サラリーマンも会社人生終盤の出処進退は自分で決める、そういう時代が到来しているということなんだろう。

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2018年7月17日 (火)

オクトーバーフェスト2018

ただ今、栄の久屋大通公園で「ナゴヤオクトーバーフェスト」開催中(22日まで)。とにかく連日の猛暑で、あんまり暑いとビールを飲む気すら失せる感じだが、せっかくのドイツビールのイベント、休みを取って行ってみた。
お目当ては、各店舗が平日のみ数量限定で販売している「3種飲み比べセット」(1,400円)。
写真のビールは、「アルコブロイ」というブランドの、左からシュロスドゥンケル、ツヴィックル、ヴァイスビア。フードは、カレーブルスト(ソーセージ)とポテトフライ。

Photo

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2018年7月16日 (月)

母の命日に

(どこかにあるのかも知れない母上様の魂に向けて)

母上様のいない世界を25年間、どうやらこうやら生きて参りました。

やはり人生は無意味です。結局のところ自分の人生に大した意味は無い。

いや、生まれたことに文句を言ってるんじゃありません。

大した意味の無い人生ではあるけれども、

母上様から受けた愛情のおかげで、ここまで自分は生きてこれたのだと。

そしてこれからも、母上様の愛情の記憶により、自分は生きていけるのだと。

母上様の愛情、もったいのうございました。

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2018年7月13日 (金)

「無断キャンセル」の罪深さ

昨今、飲食店の予約を無断でキャンセルする不埒な輩が多いらしい――日経新聞電子版11日発信の記事からメモする。

「無断キャンセルは経済的だけでなく、精神的なダメージも大きいんです」。東京・銀座の雑居ビルで小料理店を営む女将(40)はこう話し、「本当にやめてほしい」と訴える。カウンターとテーブルあわせて計30席。無断キャンセルがあれば空席が目立ってしまう。同店では早朝に市場で魚介類などの食材を仕入れ、昼から仕込みを始める。無断キャンセルはこうした作業や食材を無駄にする。予約を断った客への「申し訳なさもある」。

売り上げの減少、食材の廃棄、従業員の士気低下――。飲食店にとって深刻な問題の無断キャンセルは、姿を現さないとの意味から英語では「NO SHOW(ノーショー)」と呼ばれている。ある飲食店関係者は「近年、インターネットで予約するケースが増えたことが、ノーショー拡大の要因だ」と分析する。簡単に予約できる分、心理的抵抗が薄れているとの見方だ。

飲食店に予約台帳サービスを提供するトレタ(東京・品川)の調査が、実態を浮き彫りにしている。13年12月~17年8月の約2200万件の予約データを調べたところ、無断キャンセルは1%弱を占めた。100件のうち1件が「無断」にあたる計算だ。

17年10月に約8万の飲食業者などが加盟する「全国飲食業生活衛生同業組合連合会」(東京・港)や大学教授、弁護士などが集まって無断キャンセルへの対応策を考える勉強会が設立され、キャンセル対応の自主ルールの検討に乗り出した。経済産業省もオブザーバーの位置づけで参加する。

経産省によると、国内の飲食店の無断キャンセルによる損失は総売上高の1%程度の年約2000億円と推計されている。担当者は「決して小さい金額ではない」(サービス政策課)とみる。多額の経済的ダメージ、店側の悲痛な思い――。損害賠償リスクを含めて、無断キャンセルが決して小さな問題でないことを客の側も心に留める必要がありそうだ。

・・・全くもって不道徳というか反社会的というか。経済的損失も小さくない「無断キャンセル」は、相当罪深い行いであるというほかない。

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2018年7月11日 (水)

四半期決算への懐疑

本日付日経新聞市況欄コラム「大機小機」(四半期決算の弊害)からメモする。

上場企業、とりわけ製造業の経営者の間では、四半期決算は必要なのかという疑問の声が高まっている。

四半期つまり3ヵ月というのは、業績改善の目標期間としては短すぎる。
特に製造業の場合、3ヵ月で業績に反映できるような改善領域は少ない。短期業績が厳しく追求されると、業績改善意欲はかえってそがれてしまう。かつて東芝で起こったような、会計数字を操作するという不正行為すら起こってしまうこともある。

短期の業績目標ばかりが重視され、中長期の戦略的課題が忘れられてしまう。四半期決算が短期志向を助長する問題は、1980年代に米国で四半期決算が広まった時にも認識されていた。
3ヵ月では業績の改善が難しいから、出発点となる四半期の業績を下げてV字型回復が演出されるという現象が、米国ではよく起こった。社長の交代時に前任の社長の投資を減損処理し、業績回復を演出するやり方である。

四半期決算の廃止は、投資家にとってもメリットがある。四半期の数字の分析に代わって、中長期の戦略課題の達成を評価することにもっと時間を使うことができるようになるからである。

・・・四半期数値が目標になると、経営に悪影響を及ぼす可能性はあると思わざるを得ない。四半期決算は所詮、株式相場の売り買いの材料だと割り切るしかないかも。

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2018年7月 7日 (土)

「死刑あり」は日米中など56ヵ国

本日付日経新聞「きょうのことば」(死刑制度)からメモ。

死刑制度なし(106ヵ国)
オーストラリア、オーストリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、アイスランド、イタリア、メキシコ、モンゴル、オランダ、スイス、英国など

通常犯罪で廃止(7ヵ国)
ブラジル、チリ、イスラエルなど

事実上廃止(29ヵ国)
ミャンマー、ロシア、韓国、スリランカなど

死刑制度あり(56ヵ国・地域)
日本、米国、中国、北朝鮮、台湾、ベトナム、タイ、アラブ首長国連邦、インド、イラン、イラク、シンガポールなど
(2017年12月末時点)

国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」によると、17年の死刑廃止国は00年に比べ1.4倍の106ヵ国に増えた。一方、17年に死刑を執行したのは23ヵ国にとどまる。主要国では日本や米国、中国などわずかだ。日本は国連から廃止勧告を受けるなど、国際社会から厳しい視線が注がれている。

・・・日本国内では、死刑制度について「やむを得ない」という意見が8割を占める(内閣府調査、14年)という。

6日にオウム死刑囚7人の死刑が執行された。ここまでくれば教祖はやむを得ないとしても、教団幹部6人を一度に処刑したことに対しては、すんなりとは受け入れがたい感覚がある。

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2018年7月 6日 (金)

東芝の決算に監査意見が2つ

東芝の2つの決算書(2018年3月期)で異なる監査意見が開示されている。株主総会の招集通知に添付する計算書類では「無限定適正」であるのに対し、有価証券報告書では「限定付き適正」なのだ。どうしてこうなったのか。本日付日経新聞記事(東芝の監査意見、異なる開示)から以下にメモする。

東芝の監査では、2017年3月期にPwCあらた監査法人と米原発事業の損失を巡る意見が対立。最終的に、あらたが米原発事業の損失問題を除けば決算は適切という「限定付き適正」を東芝に出す異例の展開になった。一連の会計問題は前の期で一段落したはずなのに、18年3月期の有報でも「限定付き」が出たことで、株式市場でも戸惑いが広がった。

今回、有報の監査意見が限定付き適正だったのは、有報は2期分の決算を記載しており、前の期との比較可能性が重要になるためだ。18年3月期の決算に問題がなくても、「比較対象となる17年3月期が限定付きで全てが正しいとは言えないため、18年3月期の監査意見が限定付きとなる」(大手監査法人)。

一方、株主総会の招集通知に添付している計算書類(決算)には18年3月期は「すべての重要な点が適正に表示している(=無限定適正)」と記載し、限定付きとは書いていない。計算書類は1期分の決算だけ記載しているためで、ここでは有報のように17年3月期との比較可能性は問題にならないというわけだ。

どちらも大事な法定開示なのに形式が異なるのは、有報は金融庁所管の金融商品取引法、計算書類は法務省所管の会社法と、それぞれ別の法律に基づいているからだ。

大和総研の吉井一洋氏は「投資家にとって2つの法定開示が存在するメリットはない。混乱を招かないためにも、有報と計算書類をどう位置づけるのかは今後の大きな課題」と話している。

・・・確かに何で決算書は2種類あるんだろう。決算書はどっちかに、ていうか有報に一本化して欲しいね。

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2018年7月 5日 (木)

サブロク協定

本日付日経新聞の「くわしくわかる働き方改革法」特集記事から、「36協定」の用語解説を以下に引用する。

▶36協定
残業や休日労働に関する労使協定。労働基準法36条に基づくため「サブロクキョウテイ」と呼ぶ。企業が法定労働時間(1日8時間・週40時間)を超えて社員を働かせるには、協定で残業の上限を定め、労働基準監督署に届け出る必要がある。だが特別条項を付ければ、年に6ヵ月までは上限を自由に設定できる。
認知度の低さも指摘される。連合の調査によると、働く人の4割超は企業が残業を命じるのに協定が必要なことを知らない。働き手の側の意識の向上も必要だ。

・・・サブロク協定、確かに自分も40歳過ぎまで知らなかった。会社で今の部署(証券会社の引受審査部)に務めてからその言葉、その意味内容を知ったという案配。なので、この記事でサブロク協定の認知度が半分程度というのを見て、まあそうなんだろうねと思った次第。働く側の意識がどうのとか書いてるが、こういう言葉は学校でみんなに教えたらいいんじゃないのかなと、単純にそう思う。

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2018年7月 1日 (日)

映画「ゲッベルスと私」

昔、大学生の時、ゲッベルスで卒論書きたいなと思ったことがあった。「ゲッベルスとナチスの宣伝戦略」と、タイトルだけは決めていた(笑)。しかし結局卒論はニーチェで書いた。まあニーチェなら参考にする論文はたくさんあるし、書きやすい方で書いたという感じだ。今から思うと、ゲッベルスで卒論を書くのは現実には難しかっただろうな。

最近自分は病気で左足に後遺症が残った。足が悪くなってみると、ゲッベルスやルーズベルトの偉さがよく分かった。身体障害者でも国のトップリーダーを務めたのだから、凄いと思う。

さて、久しぶりに今池の名古屋シネマテークに足を運んだ。「ゲッベルスと私」を観るためである。この映画は、東京では岩波ホールでやっている。岩波ホールだと、いかにも文化的な観るべき映画という感じになるが、雑居ビルの中にある試写室のようなシネマテークで観ると、関心のある人向けというマイナー感が強まるように思う。まあどっちがいいって話でもないけど。

映画の内容は予想を大きく超えるものではない。ゲッベルスの元秘書のポムゼルさん(撮影時103歳)がナチス時代のドイツを語る。当時のアーカイブ・フィルムも挿入しながら、証言が淡々と続く。プログラムも参照しながら、いくつか以下にメモする。

・当時の体制から逃れることは絶対にできない。体制に逆らうには命がけで、最悪のことを覚悟する必要がある。
・当時は国中がガラスのドームに閉じ込められたようだった。私たち自身が巨大な強制収容所の中にいた。
・「白バラ」運動の裁判記録を取り扱ったことがある。黙っていれば、ショル兄妹は今も生きていたのに。反戦ビラをまいたから、残酷にもギロチンで処刑された。
・神は存在しない。悪魔は存在する。正義は存在しない。正義なんてものはない。
・私に罪があったとは思わない。ただし、ドイツ国民全体に罪があるとするなら話は別。

人は誰でも時代の制約の中で生きている。過去の歴史を生きた人々が、その時代の制約の中を生きてきたように、現在を生きる我々もまた、おそらく時代の制約の中に生きている。そして、その制約の正体は、ある程度時が過ぎてからでしか見えてこないのだろう。現代の視点から過去を断罪することに、どれ程の意味があるのかと思う。ましてや我々日本人もまた、20世紀前半にはドイツ人と同じような状況にあったのだから。

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