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2018年4月 7日 (土)

『歴史と戦争』

 『歴史と戦争』(幻冬舎新書)の著者は半藤一利氏。昭和5年生まれ、いわゆる昭和ヒトケタ世代である。私事めいたことを記すと、自分の親と同年代の人である。なので自分にとっては、この本を読むことは親世代の言葉を聞くということに他ならない。昭和ヒトケタ世代は、戦時中の少年少女として空襲や疎開を経験し、戦後は価値観が全くひっくり返った社会を生きた人々である。自分たちの親世代の経験と考え方を理解すること、その価値観を時々思い起こして今の世の中を見てみることが、昭和ヒトケタの親を持つ自分たちの義務のような感覚がある。

 

 東京・向島生まれの著者は昭和20年3月10日の東京大空襲を経験している。空襲の後の焼死体がいくつも転がる焼け跡に立った著者は、これからは「絶対」という言葉を使うまい、と心に誓う。「絶対に正義は勝つ。絶対に日本は正しい。絶対に日本は負けない。絶対にわが家は焼けない。絶対に焼夷弾は消せる。絶対に俺は人を殺さない。絶対に・・・・・・と、どのくらいまわりに絶対があり、その絶対を信じていたことか。それが虚しい、自分勝手な信念であることかを、このあっけらかんとした焼け跡が思いしらせてくれた」。

 

その東京大空襲を指揮したルメイ将軍は戦後、日本政府から勲章を授与されている。航空自衛隊の育成に功績あり、との理由だ。この事実を毎年3月になると思い出す著者は、「われながら執念深いことと思うが、こればかりはこの世をオサラバするまで永遠に思い起こすことになる」と語る。当然の感情だと思う。時に政治は戦争よりも不条理である。

 

 そして「あとがき」には「本書の結論」として、以下の言葉がある。

 

 「わたくしを含めて戦時下に生をうけた日本人はだれもが一生をフィクションのなかで生きてきたといえるのではなかろうか。万世一系の天皇は神であり、日本民族は世界一優秀であり、この国の使命は世界史を新しく書きかえることにあった。日本軍は無敵であり、天にまします神はかならず大日本帝国を救い給うのである。このゆるぎないフィクションの上に、いくつもの小さなフィクションを重ねてみたところで、それを虚構とは考えられないのではなかったか。そんな日本をもう一度つくってはいけない」。

 

 「国家総動員法」「大政翼賛会」「大本営発表」「戦陣訓」「国体護持」「一億総特攻」・・・この本に出てくる戦時中の言葉を拾っていくと、息苦しい時代がありありと感じられてくる。これらの言葉が重くのしかかってくる生活、その中で日々を送ることが自分の親世代の少年少女時代の現実だった。この戦時を支配したフィクションが将来、同じ姿で現われることはさすがに無いだろうが、国家が国民の生活と生命を危機に陥れるフィクションを、別の形で生み出す可能性が全く無いとは言い切れない。そのような可能性を考える時に、著者を始めとする昭和ヒトケタ世代の経験と思考を思い起こすことが、強く求められるのだと思う。

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