« 謎の武将「亀井茲矩」 | トップページ | 『壬申の乱と関ヶ原の戦い』 »

2018年3月25日 (日)

自害峰(石田三成陣説)

最近のBS番組「諸説あり!」で、関ヶ原合戦の一次史料による見直しをリードする高橋陽介氏が、石田三成陣は笹尾山ではなく自害峰にあったとの新説を披露していた。自害峰とは、関ヶ原の西、不破の関跡に近い場所にある小山である。番組の紹介によれば、高橋氏はまず一次史料の中から「石田三成は自害が岡に陣を置いた」との記述を発見。自害が岡は現在の自害峰に当たると推定し、現地を調査して土塁、削平、切岸など陣を造営した跡があることを認識したという。この辺はさすが「東海古城研究会」に属する歴史研究者という感じである。とにかく石田三成陣・自害峰説は非常に興味深いものだったので、気候が良くなったら行ってみようと思っていた。

Photo_19 

・・・ということで昨日行ってきました自害峰。最近の関ヶ原新説では、西軍は自害峰のある藤下(とうげ)及び隣接する山中(やまなか)地区に布陣したと考えられている。関ヶ原駅から西にてくてく歩いて30分、山中に到達する。現在は旧中山道沿いに住宅が並ぶ地区(上の写真)。山間の場所なので、大軍を展開するのは物理的に難しい印象。必然的に西軍は密集した感じで布陣したと思われる。BS番組では、やはり関ヶ原通説の見直しを進める白峰旬・別府大学教授が、山中について「地形的に守りやすいところ」とコメントしていた。

Photo_20 

自害峰は山中の東に隣接する。上の写真は、山中から見た自害峰の全景。その名の由来は、壬申の乱の敗者、大友皇子の首が埋められた場所との言い伝えによる。自害峰の西側にあるその場所は「自害峰の三本杉」(下の写真)として、町の天然記念物になっており、関ヶ原町のサイト(観光情報)にも載っている。なお件の一次史料によれば、自害が岡(自害峰)は不吉な場所とされていたが、三成は気にしなかったそうだ。

Photo_9

自害峰の北側から山に入る道を見つけて上ってみる。するとBS番組で紹介されていた削平(人工的な平地)、切岸(人工的な崖)と覚しき地形が現われた(下の写真)。と言っても素人には、これが陣地の跡なのかどうかよく分からない(苦笑)。写真に撮っても、ただの林にしか見えない。(また苦笑)

Photo_10 

Photo_11

ところで、BS番組では切岸は南側に作られて、自害峰の南にある松尾山に陣取った小早川秀秋の軍勢に備えたものだとされていた。でも実際に見てみると、切岸は南ではなく東側だったので何か違うじゃんと思った。ちなみに現在、自害峰の南側は新幹線が走っている。(下の写真。右手は自害峰の森)

Photo_21 

まあそんなことでちょっと疑問な点もあったが、4月に高橋氏と乃至政彦氏の共著も出る予定だし、しばらく関ヶ原新説で楽しめると思う。

|

« 謎の武将「亀井茲矩」 | トップページ | 『壬申の乱と関ヶ原の戦い』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 自害峰(石田三成陣説):

« 謎の武将「亀井茲矩」 | トップページ | 『壬申の乱と関ヶ原の戦い』 »