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2017年8月28日 (月)

宗教改革と神聖ローマ帝国

1517年、ルターの「95箇条の提題」によるカトリック批判は、ルター自身の意図を大きく超えて、ローマ教皇及びドイツ皇帝VSドイツ諸領邦の政治闘争を顕在化させる結果をもたらした――『文藝春秋SPECIAL 世界近現代史入門』(2017秋号)掲載「ルターにも想定外だった宗教改革」(深井智朗・東洋英和女学院大学教授)から以下にメモする。
 
ルターは自らがプロテスタントだと言ったことはないし、プロテスタントという新しい宗派を立ち上げたと宣言したこともない。
ルターが考えていたことは、新しい宗派の立ち上げではなく、制度疲労を起こしている教会の救済システムの修理や立て直しであった。
 
ところがルターの発言は、彼の意図に反して、この時代の教会のみならず、神聖ローマ皇帝や帝国を構成する各領邦の領主たちを巻き込んだ大論争に発展した。その理由ははっきりしている。ルターが教皇も公会議も誤る可能性があると述べたからだ。
 
ルターは、教皇の権威を相対化してしまった。
教皇でないなら何が権威をもつのか。ルターは聖書だと言った。正確に言えばルターは教皇も公会議も誤るのであるから、教皇も含めみな聖書に基づいて判断しなければならないと主張した。それがいわゆる「聖書のみ」というルターの考えである。
 
この時代の神聖ローマ帝国は、帝国というよりは、300以上あったと言われている領邦や帝国自由都市の集合体であった。領主や自由都市は経済的な発展に伴い、皇帝や教皇に対して、自ら手にした経済力にふさわしい政治的権利も要求するようになり、皇帝の側では帝国維持のためにさまざまな譲歩を繰り返していた。
そのような中で領主や帝国自由都市は、従来は皇帝に属するはずの国の宗教の決定という問題を自らの権力のひとつと考えるようになった。そして、このままカトリックにとどまることと、ルターたちの改革を受け入れるのとどちらが自らの統治に資することになるかを、宗教的にではなく、政治的に判断し、決定した。
この時代、ルター派を選んだ領主たちは政治的にも経済的にもローマ教会の支配を脱したいと考えた。
 
・・・歴史上の人物と出来事との関連についてよく思うのは、例えば「宗教改革」であれば、ルターが登場したから世の中が変わったのか、それとも既に世の中が変わりつつあったからルターの考えが広く受け入れられたのか。あるいはルターがいなくても別の「ルター」が現れて世の中は変わったのか、というようなことである。ルターの100年前にはヤン・フスがいたことを思えば、人々の意識の変化、さらに活版印刷の発明という技術面も含めて、世の中の変化が進んでいたと考える方が良いのだろう。そしてルターの「宗教改革」以後ヨーロッパ中で宗教戦争が多発し、100年余り後にはドイツ三十年戦争を経てウェストファリア条約で「主権国家体制」が確立するという、この歴史の驚くべきマジックというか、目を瞠るダイナミズムには非常に興味深いものがある。

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