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2017年7月16日 (日)

徳川宗春の功罪

18世紀前半徳川八代将軍吉宗の時代、幕府の倹約政策に異を唱えて消費拡大政策を進めた尾張藩主徳川宗春。8年の治世の後、幕府から蟄居謹慎を命じられて失意のうちに25年間を過ごし69歳で死去。「反逆者」宗春の影響は今も名古屋に残るというのは、名古屋出身の作家、清水義範。『日本の異界 名古屋』(ベスト新書)からメモ。
 
この殿様は名古屋に対して、パッと遊べ、という号令をかけたのだ。名古屋には全国各地から人が集まってきた。江戸や大坂に負けぬ賑わいだから、自然に人口も増えるのだ。宗春の治世中に、名古屋の人口は40パーセント増えたという。
宗春によって名古屋は日本中が注目するほどの繁栄を見せたのだ。
しかし、その繁栄は長くは続かない。農業が経済の基盤だった時代に、流通ばかり活気づかせても、それは虚の繁栄なのだ。
もちろん、宗春もそのことはよく承知していた。一方で活性化政策を取りながら、もう一方では産業振興策も積極的に行った。
ところが、宗春のこういう努力はあまり知られていない。遊びを奨励したような面ばかりが伝わるのだ。目立つのはそっちだからやむを得ないのだが。
(産業振興策の成果が出るより前に)名古屋経済は借金まみれになってしまった。宗春の誤算だったと言うべきであろう。
 
宗春は名古屋人のあり方にも大きな影響を残している。そしてその影響には直接の影響と裏返しの影響の二種類があるのだ。
直接の影響としては、名古屋人の生活文化の豊かさがあげられる。(観劇を楽しむ、茶の湯など習い事に熱心等々)日々の生活を大いに楽しむというところに、宗春の時代の大いに楽しめ、という賑わいの残り香があるのだと思う。
そして、宗春の裏返しの影響とはこういうことだ。
名古屋の人には、宗春の時代に大借金を抱えた苦しみが骨身にしみついてしまったのだ。あんなことはもう二度とあってはならぬと、心の底から反省した。つまり、宗春が反面教師となっているのだ。
宗春は今の名古屋人の一部を作っているとも言えるのかもしれない。
 
・・・転勤で名古屋にいる自分は、名古屋人とのプライベートな付き合いはないので、名古屋人のメンタリティの細かいところまでは分からないけど、まあ大体のイメージとしては生活文化の豊かさよりも、堅実な部分、つまり宗春の反動の影響の方が大きいと見えるのだが、どうなんでしょ?

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