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2017年6月25日 (日)

関ヶ原合戦、西軍壊滅の実相

昨日今日の二日間、関ケ原町でイベント「関ケ原武将シリーズ第3弾大谷吉継」が開催された。関ケ原ふれあいセンター及びふれあい広場を中心エリアとして、ステージ・パフォーマンス、トークショー、資料展示、グルメブース、古戦場ウォーキングなどの企画を展開。小生は、本日午後1時からの歴史トークショー「新説関ケ原の戦い」に足を運んだ。
 
歴史研究者の小和田泰経氏と高橋陽介氏、あと司会者の女性とナビゲーター(自ら「歴史くん」と称してた知らない芸人)の4名でトークが進行。

高橋氏は著書『一次史料にみる関ヶ原の戦い』を2年前に自費出版。何でも「在庫が余っている」とかで、通常販売価格850円のところ本日は「処分価格」500円で会場内のグッズ販売コーナーに置いていると、自虐ネタよろしくおっしゃる。せっかくなのでトークショー終了後、購入。80ページ超の小冊子の体裁。学問的な歴史研究ですから内容は史料解釈中心で、全体の半分程度が吉川広家書状の分析。原文、意訳、解釈と叙述が進められているが、とりあえず解釈の部分をさーっと読んでみたら、非常に興味深い。とりあえず結論的な関ヶ原合戦の姿を以下に引用する。
 
「西軍の宇喜多・島津・小西・石田勢は9月14日夜、小早川の籠る松尾山を攻めに向かった。松尾山を包囲し、陣所は山中村周辺、陣立ては第一陣宇喜多、第二陣島津、その東に石田。9月15日早朝から戦闘開始。しかし午前10時ごろ予期せぬことに、そこへ東軍の「猛勢」が攻め込んできた。そこで石田は先陣に立って戦う。約2時間の戦闘で、まず大谷吉継が戦死、ついで宇喜多勢、石田勢が壊滅。正午ごろ、西軍敗北。島津は伊勢街道を南へ向かって撤退した。」
 
松尾山を占拠した小早川を最初から敵方と見なして、西軍主力は大垣城から松尾山の麓に移動して布陣したのだが、その背後から東軍本隊に攻め込まれて壊滅した。南宮山に西軍として兵を置いた毛利が動かなかったからこそ、東軍は何の心配もなく中山道を進み西軍の背後を突けたのだろう。そう考えると「裏切り」の罪が重いのは、小早川よりも吉川という感じがする。
 
トークショーの中で、白峰旬先生(『関ヶ原合戦の真実』著者)の名前も出ていたが、おそらく今後の関ヶ原合戦の研究は白峰、高橋両氏の説を全く無視することはできないと思われる。

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