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2017年6月20日 (火)

フェイクニュースの「思想」

世界に拡散するフェイク(偽)ニュース。その背景にあるのは、いかなる思想はたまた感情なのか。本日付日経新聞オピニオン面「偽ニュースどう戦う」から、神学者森本あんり氏のインタビュー記事を以下にメモする。
 
「ポスト真実(Post-truth)」は、客観的な事実よりも感情や個人の信条に訴える方が影響力を持つ社会状況を意味する。まさにフェイクニュースが作る世界、あるいはフェイクニュースを生み出す世界のことだ。
 
フェイクニュースの問題が猛威を振るっている背景には、「物事は見方によって変わる」という、現代社会に特有のリベラルな相対主義があるのだろう。最近の学生は「絶対」や「真理」を信じていない。ポストモダンの哲学もこうした考え方を裏打ちする。
 
フェイクニュース問題が特にアメリカで深刻なのは注目に値する。これにはアメリカに特有の精神的な土壌が絡んでいる。アメリカを貫くプラグマティズム(実用主義)は「何が真実か」という哲学的な議論より「それは実践でうまく機能するか」を重んじるからだ。
 
またアメリカは特殊なキリスト教原理主義が根強い。「神は6日間で天地を創造した」という聖書の言葉を字義通りに受け入れ、進化論を否定する人は国民の4割にも及ぶ。彼らはいったんそう信じれば、いかなる科学的な説明も受け入れない。例えば天地創造の時とされる6000年前よりも古い化石が発見されれば、神が創造の時に化石をそこに置いたと考える。これはポスト真実に共通する態度といえる。
 
フェイクニュースはこうした土壌に、誰もが情報を発信・拡散できるソーシャルメディアというツールを得て増殖した。
 
フェイクニュース問題の底には、自分たちは権力者にだまされているという陰謀論的な感情がある。疎外されていると感じる人にとり、体制側と見なす既存メディアの情報は受け入れられない。実際、大手メディアで活躍する人々は、アメリカでも日本でも一握りのエリートだ。反発には、権威ある人の言うことが正しいわけではないという平等意識がある。
 
・・・こうして見ると、一見アホらしいとも思えるフェイクニュースの「流行」には、意外と複雑な「思想的」背景があるようだ。ポピュリズムと合わせて、結構厄介な事象なのかも。それにしてもこのままいくと、見たいものだけ見る、信じたいものだけ信じる、そんな人ばっかりになるような。それも何だかなぁ~である。

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