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2017年1月17日 (火)

競争戦略の目的とは

今や企業経営者の主要な仕事とも言える「事業戦略」や「競争戦略」の構築。その目指すところは高収益。では、高収益を実現する王道とは何か。本日付日経新聞市況面コラム「一目均衡」(「競争戦略」とは何か)からメモ。
 
戦略とは何だろう。私見ではその会社ならではの「価値ある独自性」の追求である。横並びから脱却し、他では提供できない価値を顧客に届けることだ。それが収益力の源泉にもなり、社会貢献にもなる。
 
例えばベビー用品大手のピジョンを見てみよう。同社の売上高は1千億円に満たないが、営業利益率は15%を超え、日本のメーカーとしては例外的な高収益体質を構築した。何が原動力になったのか。山下茂社長は「生後18ヵ月までの赤ちゃんに的を絞ったことだ」という。この年齢の赤ちゃんの哺乳に関わる事項は世界共通であり、「いい哺乳器」を開発できれば、国籍を問わず通用する。
現に母国市場の日本が少子化で赤ちゃんの数が減っているなかでも、海外事業を大きく伸ばし、過去5年で全社の売上高を1.5倍に増やした。
 
見逃せないのは、「何をするか」が明確になれば、「何をしないか」もはっきりすることだ。ベビー服は哺乳器よりはるかに市場規模が大きいが、技術による差別化が難しく、かつ市場ごとに消費者の好みが違うので、参入しない。もっとも山下社長は「最初から明確な戦略があったわけではない。様々な失敗を経て、今がある。今後も試行錯誤は続くだろう」という。
 
・・・独自性の確立こそが事業戦略の目的であり、高収益への道である。しかしその道を見い出すためには、試行錯誤は避けられない。やはり失敗を恐れてはいけない、ということだな。

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2017年1月14日 (土)

ヒロシの語る「ネガティブ哲学」

お笑い芸人ヒロシのインタビュー記事が、なぜか「東洋経済オンライン」から(笑)本日付で発信されているのでメモする。
 
僕は、まだブレークする前、1ヵ月7万円だけで東京で生活していたのです。信じられますか? 毎月いくらの家賃で生活していたんだろうという話ですよね。
一番売れていた時の月収は4000万円。今は手取りで月収60万円くらい。
これだけ金額に差があると、元に戻りたいでしょう、という方はいるかもしれませんが、そんなことは思わないんです。
考えてみれば、おカネはほどほどあれば、いいんですよね。
ただおカネが欲しい、上昇したいというのではなく、自分が大事にしたいことができるかということが、本当は大事なのではないかと思います。だから、また再ブレークという気配があったら、僕はかえって休んでしまうのではないかと思います。しんどいし、普通の生活ができなくなるし。
「頑張らないと、上にいけない」「明るくないと、人に好かれない」
世の中ではいろいろと「こうしなければ、幸せになれない」みたいな話がありますが、それについていけない人はいると思うんです。でも、それについていかなかったとしても、その人なりの幸せや生き方があるのだと思います。
僕もそうですが、ネガティブな人って、やさしかったり、自信がなかったりして、自分の意見が言えないことも多いんです。
そういう人を応援したいなと思っているんです。
やさしくてうまく動けない人が、(自分のネタのフレーズで)笑って元気になってもらえればうれしいです。

・・・小生も「ネガティブな人」なので(苦笑)、ヒロシのいわゆる「自虐ネタ」に応援してもらっている一人です。

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2017年1月13日 (金)

グローバル経済か国内優先か

アメリカの経済学者ダニ・ロドリックは、グローバル化、国家主権、民主主義のトリレンマ(3つ同時に成り立たない)を唱えている。昨日12日付日経新聞「ニュース複眼」面掲載のインタビュー記事からメモする。
 
いま欧米で起きているのは、明らかにグローバル主義やグローバル化への反発といえる。
メッセージは「自分たちの問題に注意を払うリーダーが欲しい」ということだ。グローバルな組織や経済勢力を最重視せず、自国の問題に自国の政策で対応する。グローバル経済が自分たちを苦しめるのではなく、役に立つものになってほしい。言い換えれば、政策の優先順位の再調整だ。

具体的にはグローバルな組織や経済統治を改善する努力と、国内経済や社会を改善する努力を再調整することだ。摩擦を生むならグローバル化の優先順位を下げなければならない。
開かれたグローバル経済を繁栄させる最善の道は、国内経済を繁栄させることだ。国内経済がうまく機能しないのなら、健全なグローバル経済など望めない。その状況で自由貿易協定を締結し、より良い国際経済の協調体制をつくっても国内経済の助けにはならない。

市場がトランプ氏の政策に対する期待に沸いたことは意外ではない。選挙でたくさんの約束をするポピュリストが経済刺激への期待を生むことはよくある。

トランプ氏は国内政策の余地をつくろうとしているが、国内優先がすべて正しいわけではない。彼は権威を攻撃し中間層に寄り添うとアピールしながら、政権中枢に金融専門家や大富豪を据え、富裕層の減税を口にしている。(米国で進む)脱工業化の問題も、単にメキシコや中国からの輸入品に高関税をかけても対処できない。彼の政策は目標を実現するようには設計されていない。

・・・経済政策においては、グローバル対応と国内対応のバランスが大事。と言葉では簡単に言えちゃうが、本質的かつ有効な政策を作って実行するのは難しいよなあ~と思う。「我が国に工場を作れ」と、次期大統領がツイッターで強権的に?つぶやくだけで上手くいくのかどうか。

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2017年1月12日 (木)

新たな保護主義の時代?

フランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッドは、「先進世界では保護主義と開国、つまり自由貿易が代わる代わるやってきた。」「今始まろうとしているのは一つの時代だ」と指摘する。本日付日経新聞「ニュース複眼」面掲載のインタビュー記事から以下にメモ。
 
(米大統領選のトランプ氏勝利、英国のEU離脱決定について)これはポピュリズムではなく民主主義が正常に機能した結果だ。ポピュリズムから民主主義を守ると言っていたエスタブリッシュメントの人々は、実際は少数の権力者の代表としてみられるようになった。

私は資本主義に反対しない。大衆の利益を考慮したエリートが管理する合理的な資本主義に賛成だ。
 
グローバル化は特に英米で途方もない格差を生み、日仏独にもある。この格差は資本の移動の自由と、低賃金の労働力を使うことで生まれた。

自由貿易は絶対的な自由貿易しかない。しかし保護主義にはいくつもの種類がある。ばからしいものも節度あるものもあるのだ。
自由貿易が利益になる段階はあるが、行き過ぎると格差が生まれ、最先進国での工員の給与を抑制し、最終的に世界的な需要不足につながる。
行き過ぎた自由貿易は経済を停滞させる。ドイツや日本、韓国の低い出生率は自由貿易と関連がある。経済的な生き残りに必死になると、子供をつくる時間がない。

自由貿易は忘れねばならない。我々の前にあるのは良い保護主義と悪い保護主義の議論だ。給与水準を守ったり、内需を刺激したりする合理的な保護主義は貿易を活発にする。保護主義が国家間紛争になるというのは嘘だ。保護主義は協力的で敵対を意味しない。

・・・保護主義があれこれ取り沙汰される昨今。しかしグローバル化が進み相互依存が深まる世界の中で、そもそも保護主義なるものが可能なのか。何となく疑わしいんだけど。

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2017年1月10日 (火)

「老後」と宗教の無力化

宗教学者の島田裕巳は、「老後」というものが現代日本人の死生観を大きく変えた、と見ている。雑誌「アエラ」(1/16号)のインタビュー記事からメモする。
 
「老後」という言葉が朝日新聞に登場したのは1984年。戦後、第1次産業から第3次産業へと産業がシフトして都市化とサラリーマン化が進むなかで、「定年」という制度が生まれました。それまでは、基本的に死ぬまで働いていたわけですから、「生」と「死」の二分法でした。
ところが、戦後のサラリーマン世代が最初に定年を迎える80年代中盤以降に「老後」が誕生したことで、人生が3段階になった。老後に「死ぬまでの心配」をしなければならなくなったことは、大きな変化です。
 
同時に、家制度の弱体化も「死の意味」を変えました。日本人の死生観は「西方浄土」「極楽」という仏教的観念と家制度が結びついて醸成されてきました。「死んだら極楽浄土に行ける」「ご先祖様になって家や子孫を守る」と考えることで、「死」は意味を持ちました。
 
日本人には、「世の全てのものは移り変わり、いつまでも同じものはない」という無常観が根底にある。死が身近でいつ死ぬかわからないから、無常の世の中ではない「極楽浄土」に生まれ変わることを期待してきたのです。
 
だが、平均寿命が70、80歳と延びるにつれて、家の"新陳代謝"は滞り、核家族化や病院死の増加によって、死はどんどん遠いところへと追いやられていった。「極楽浄土」や「ご先祖様」という意味は見いだせなくなり、生きることが最大の価値になった。これが今の日本人の死生観なのです。
 
・・・昔は人間は簡単に死んだ。戦争、災害、伝染病、飢饉等々。だから昔の人の気持ちになれば、来世を信じないでやってられっか!というわけで、今生は来世や天国に行くための準備の時間と意味づけられる。しかし今では、新生児はほぼ無事に成人できるし、リタイアしてからの時間も延びた。要するに人間は長生きできるようになった。科学的知見の普及もあり、来世や天国を信じる切迫感は昔よりも大きく低下。これに伴い、人生から宗教的な意味というか目的(あの世の救済)も失われた。今では人生の目的というと「長生き」、加えて「金持ち」というところだろう。これが文明進歩の果てに人間の抱く願望なのか。それは違うぞと思うなら、自分で自分の人生の意味を見つけるほかない。そういう意味では実存主義は今でもそれなりに有効なのかなと思う。
 
しかし有象無象の人生に大した意味があるとは思えない。それこそアメリカ大統領くらいにならないと、自分の人生に意味があるとか言えないなあと。この頃そんな気がしているのであった。

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2017年1月 7日 (土)

経済停滞とポピュリズム

本日付日経新聞市況面のコラム「大機小機」(市場経済と民主主義の危機)からメモする。
 
2016年はポピュリズム(大衆迎合主義)が世界を席巻した。英の欧州連合離脱決定、トランプ次期米大統領の選出はもとより、フィリピン、コロンビア、ブラジル、イタリア、韓国で起きたことは市場経済や民主主義のあり方に波紋を投げかけた。

各国には固有の事情がある。だが貧富の差の拡大、中間層の没落、地方の衰退などの経済問題に対し、政治が無力であり、社会が分断されたままであることへの国民の失望が共通点として指摘される。
経済的苦境が続く一方で、社会的不公平や不公正が是正されず、社会正義が実現されないことに国民の怒りが爆発した。それがポピュリズムを台頭させ、反グローバリズムにつながっているといって過言ではない。市場経済と民主主義の危機で、それはそのまま今年に持ち越されている。

ポピュリズムを加速させたのはリーマン・ショック後の経済運営といわれる。各国は金融緩和の協調で金融システムのリスクを回避した。一方で緊縮的な財政政策を続けた結果、セーフティーネット(安全網)機能が低下した。さらに構造改革を先送りし続けたため、潜在成長率も低下した。そこに新興国の成長鈍化が重なり、世界的な景気低迷に拍車がかかった。

・・・どうやら「格差拡大、中間層没落、地方衰退」というのは各国共通の課題、特に先進国においては経済の「長期停滞」の原因でもあるような印象だ。市場原理に任せる新自由主義的な解決策である「トリクルダウン」の効果も特に認められない現状では結局、再分配政策の妥当性が問われることになるはずだが、既得権勢力に阻まれているのか、是正する動きも見えてこない。市場経済は失敗し民主主義も機能していない現状は、「最大多数の最大幸福」を実現する社会には程遠いと言うほかない。

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2017年1月 3日 (火)

「ポピュリズム」というレッテル

「週刊エコノミスト」(1/3・10合併号)掲載のコラム記事「リベラルの罪」(英国在住のブレイディみかこ執筆)から、以下にメモする。
 
現代のメディアや知識人、政治家などに使用されるときの「ポピュリズム」は、デマゴギー(虚偽宣伝)やレイシズム(人種差別)といったネガティブな要素を多分に含んだ「脅威」の同義語になっている。欧米のリベラルにとって、ポピュリストとは、洗練されていない低学歴の人々のことであり、メディア人や知識人、政治家は、こうしたポピュリストを諸悪の根源であるかのようにレッテル貼りする。
 
現代のメディアにおける「Pワード」(ポピュリズム)の氾濫を見ていると、それは「間違った考え方」を象徴する言葉になり、メディアも政治家もそれと戦うことに躍起になっているように見える。
これほど欧米がPワードを恐ろしがるのは、それが欧州におけるファシズムの台頭を思い起こさせるからだろう。1920年代と30年代の大恐慌の時代に、大衆を喜ばせる言葉を発し、広報による情報操作戦略で権力を握ったヒトラーやムソリーニの時代を彷彿とさせられるからだ。
 
キャメロン前首相とEU残留派を負かしたのは、すべての政党とエスタブリッシュメントたちに、自分のささやかな希望や不安を無視されてきたと感じている「取り残された人たち」だ。
欧米の民主主義は、国家の枠組みや帰属意識、共同体意識、安定した仕事を原則として築かれたものだ。だが、近年のエリートやリベラルは、時としてこれらの原則を痛烈に批判する。国境をなくし何ものにも帰属せず、コミュニティーに頼ったり、仕事に安定を求めたりせず、グローバルに生き抜くのが"プログレッシブ"(進歩的)な人間なのだと彼らは啓蒙する。
しかし、世の中にはそういう生き方をしたくない人々もいる。「取り残された人たち」は、リベラリズム(とそれを奉ずるエリートたち)こそが彼らを生きにくくした原因だと考えている。
 
欧州や米国で起きた出来事をPワードという言葉で切り捨てることは、実質賃金の低下や、記録的水準に達そうとしている格差への人々の怒りから目をそらすことにほかならない。
 
・・・このところメディアでは、「ポスト・トゥルース」という直輸入ワードを見たり聞いたりする。これは、客観的事実よりも感情へのアピールが世論形成に大きく影響する状況を指す言葉らしい。なので「ポピュリズム」の関連用語という感じではある。といってこれを、トゥルースはエリートの側にあり、大衆は感情的に動くだけ、という図式にしてしまうと、見逃してしまう事柄も多くなるのではないだろうか。結局はエリート層にも、「取り残された人たち」にも、それぞれの「トゥルース」があり、困難ではあっても両者の調停を図りながら、合意形成していくほかないように思われる。

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