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2016年12月11日 (日)

中高年の観た「君の名は。」

主人公が高校生の恋愛ものアニメか・・・いくら大ヒット映画でも、自分のような中高年には関係ないな――というのが、「君の名は。」に対する印象。だったのに、公開から3ヵ月を過ぎた先日、とうとう観てしまった。
きっかけはNHK「クローズアップ現代+」(11/28放送)。「君の名は。」の大ヒットの秘密を探るという内容の番組の中で、当初は10代、20代の観客が大多数だったものが、直近は30代以上の人が半数を占めることが紹介された。さらに番組で中高年向け試写会を行ったところ、観客53人中36人、約7割の人が自分の経験した過去の出会いや別れの記憶が甦り、心を動かされたというのである。ならば自分も観ておくべきかな、と意を決して映画館に足を運んだ次第。(正直個人的には、そもそも出会いや別れの記憶に乏しいんだけど。苦笑)
 
で、観終わって最初に思ったのは、「フシギな話だな~」と我ながらマヌケな感想。ただ観る前に抱いていた印象とは大きく違った物語だったのは確か。何というのか、死者と生者が出会い、変えられないはずの過去を変えてしまうことで、死者の死は無かったことになる物語とでもいおうか――これを恋愛ものというのは違うな、とまで感じた。
 
大体、基本的に男の子と女の子の体と心が入れ替わるという、フィクションとしてはありがちな、しかし現実には絶対にありえない設定であるところに、プチ・タイムスリップというか3年のタイムラグというヒネリが加えられて、最後に彼と彼女は偶然に「再会」するという、徹頭徹尾ありえない話になっている・・・けど、それ自体はもう「奇跡」のファンタジーと言われれば、「フシギな話」をそのまま受け入れるほかないな~という感じである。
 
この映画のクライマックスは、カルデラ状の山の上の彼と彼女の出会いだろう。ラストに置かれた東京での「再会」は「おまけ」みたいなものだ。山の上の御神体のある場所、あの世とこの世の境目というか、あの世の入り口のある場所に立つ彼と彼女。最初は見えなかったお互いの姿が黄昏時(誰そ彼時、逢魔が時)の中で現われて、彼は3年前に死んだはずの彼女と出会いを果たす・・・様々な暗示に満ちたこの場面から思い起こされるのは、ギリシャ神話にも日本神話にもある、死んだ妻を冥界から連れ戻そうとする話。いずれの神話でも夫は目的を果たすことはできないのだが、この映画では過去を変えることで、彼女はこの世に戻ってくるし、多くの人が命を救われることになる。
 
彼女を救おうとする彼を突き動かす力の源は、恋愛感情というよりは、「忘れたくない人。忘れちゃダメな人」に対する強い愛惜の気持ちではないかと思える。死者も含めてもう会えない人、会うことはないかもしれない人に対する愛惜の念。その記憶は、若者よりも中高年の方が当然多く抱えている。だからこそ、この映画は中高年の心にも届くものになっている、のではないか。
 
結局、今年の東宝の2大ヒット作品「君の名は。」「シン・ゴジラ」を、自分も繰り返し見ちゃったぞ。両作品に共通するのは、3.11の記憶が色濃く反映されていること。あの大災害から5年を経て、カタストロフィの意識を見事に作品化して世に送り出したクリエーターたちには賞賛あるのみだ。

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