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2016年8月28日 (日)

ワイマール的混沌

昨今は「解釈改憲」批判と絡めてドイツのワイマール共和国、ヒトラー登場の時代について語る向きもちらほら目に付くなか、たとえば「先進的な憲法と民主主義的な選挙から独裁者ヒトラーは生まれた」という見方は、いささか誇張された物言いではなかろうか。『デモクラシーは、仁義である』(岡田憲治・著、角川新書)からメモする。

アドルフ・ヒットラーは、第一次世界大戦後の混乱期にミュンヘンで無鉄砲な実力蜂起未遂事件を起こす危険人物とされました。しかし、その後国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)を再建し、選挙のたびに躍進と没落を繰り返しつつも、他の自由主義、保守主義政治家が「あんなキワモノは私どもが管理しますから大丈夫です」と高をくくってヒンデンブルク大統領に言ってしまったことや、社会民主党と共産党の左派勢力の内ゲバも手伝って、1933年1月には政権の座に就いてしまいました。
間髪を容れず授権法という「すべての権力をヒットラー個人に授ける」、民主政治を即死させる法律を本当にわずかな審議で可決させ、以後ドイツとヨーロッパを暗黒の世界へと導いていきます。

ヒットラーが全権を握り、地獄への道に轍をつけ始める直前に、ドイツは当時の世界ではもっとも先進的な憲法である、ワイマール憲法を持っていました。このドイツの憲法は「権力の制限」という立憲主義にくわえて、人権規定からもう一歩踏み込み、社会権すら盛り込んだものでした。
しかし、どれだけ立派な統治の設計図(憲法)があっても、「でもそんなの関係ねぇ!」と誰かが言って、それを放置するなら、絵に描いた餅です。

ヒットラーは政権についてすぐに「憲法を停止してあらゆる権限を行政に与える」という、ワイマール憲法のアキレス腱である「緊急事態条項」を多用します。ナチスやヒットラーに批判的だった言論人、政党人、政治家が2万5000人以上も牢獄に入れられたことも忘れてはなりません。そして、その力でついにあの「授権法」が作られます。

言い換えれば、ナチスの台頭を招いたのはもっぱらワイマール憲法「だったから」ではありません。その制度をきちんと運用して、立憲政治を命がけで守ろうとするエリートの危機感が足らず、最後までヒットラーとナチスを「キワモノ」扱いをしたという、民主政治の具体的「運営」だったということです。

・・・独裁者ヒトラーは、いわば「政局」の産物だった。ドイツの保守的エスタブリッシュメント層が、台頭するナチスと共産党、二つの勢力から「よりまし」な方を選んだにすぎない。ところが、ナチスが簡単に手懐けられると思ったのは、大きな見込み違いだった。保守層はナチスを甘く見ていたというほかない。
さらに当時のドイツ国内外の政治経済状況を見れば、敗戦と帝国崩壊、左右両勢力の衝突、ヴェルサイユ体制、ハイパーインフレ、そしてアメリカ発大恐慌と、まさに大事件が積み重なる歴史的「混沌」状況の中から、独裁者が生まれたと考えるべきだろう。
そんなこんなで、「民主的憲法から独裁者が生まれた」というのは、面白おかしい言い回しとしては有りだと思うけど、歴史認識として正確かと言えば、それはないだろうと。

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