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2016年7月29日 (金)

先進国労働者の「反乱」

EU離脱を決めたイギリスの国民投票は、「現代は先進国リスクの時代である」ことを示した――昨日28日付日経新聞「経済教室」(EUは生き残れるか)、遠藤乾・北海道大学教授の寄稿からメモ。

英国の欧州連合(EU)離脱は世界史的な意味を持つ。
勝利した離脱派は三つの主張の合成であった。一つ目は主権的な自決意識。様々な決定が欧州の首都ブリュッセルでなされることに対して「自国のことは自国で決める」という民主主義的な精神の発露である。
二つ目は移民とそれを可能にするEUへの反感である。
三つ目はグローバル化や欧州統合に置き去りにされ、実質所得が伸び悩み、雇用が脅かされたという労働者の意識である。移民は再びそのシンボルとされた。本来は、移民は英国民と競合しない産業で働き、経済はそれで潤っていたのだが、そうした数字は反エリート主義とも結びつき、もはや意味をなさない。

グローバル化で途上国・新興国の労働者と先進国の上位所得者1%が潤う一方、先進国の労働者が相対的に沈む。
近年の政治的動乱の震源地は、この先進国の労働者だ。穏健中道政党は、グローバル化に連なるエリートとみなされ、この層をすくいとれない。それを左右両極から挟撃するのが新興政治勢力である。

米国で共和党を右から乗っ取ったトランプ現象、左からクリントン候補を追撃したサンダース現象。仏社会党も支持者を極右の国民戦線に奪われている。EUにそっぽを向いた英労働党支持者は、今や英国独立党の草刈り場となった。みなグローバル化や欧州統合により、相対的に所得が落ち込んだ層からの反乱だ。

・・・グローバル化のもたらす利益の多くは、政治経済のリーダーやエリート層が取り込み、労働者の大多数は利益とは無縁。グローバル化する経済がひたすら効率化を追求する道の行き着く先は、結局のところ格差の拡大であり、果てしない競争の中で中間層は疲弊している。エリート層の唱える、グローバル化に適合して生き残れ、というタテマエにはもはや付いていけないと、先進国労働者は遂に「反乱」の狼煙を上げた。冷戦後、グローバル経済、新自由主義・・・呼び方は様々だが、1980年代以降の時代の流れは、まず2008年リーマン・ショック、そして今年2016年のブレグジットで大きな曲がり角を迎えたような気がする。

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2016年7月18日 (月)

アドラー心理学のポイント

今週の「週刊ダイヤモンド」(7/23号)は、自社発行のベストセラー『嫌われる勇気』で広く知られるようになったアドラー心理学を特集。記事から、アドラー心理学の基本的なポイントをメモしてみる。

アドラーは「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と考える。そしてその悩みから脱却するカギは自分が握っているとする。つまり、自分が変わることで悩みを解消することができるというのだ。

自分を変えるための5つのキーワード
①課題の分離:自分は変えられる。他者は変えられない。
②承認欲求の否定:他者にどう思われようと自分の価値は変わらない
③認知論:人は皆「主観」という眼鏡を通して世界を見ている
④目的論:問題の原因ではなく、目的に焦点を当てる
⑤自己決定性:自分の人生をどう歩むかは自分が決められる

《アドラー心理学が目指すゴール》
共同体感覚(=人と人とが結び付いている状態)
5つのキーワードを通して人生の課題を克服し、他者を仲間と見なし、見返りを期待せず、他者からの評価を気にせず、他者に貢献する。そうすることで、人は幸せになれる。

確かに自分を変えることは簡単ではない。「勇気」が必要だ。その勇気を与えてくれるのが、アドラー心理学なのである。

・・・もし自分が若い時に、人間の悩みとは対人関係の悩みである、と聞いたら、悩むのに値するのは「形而上」的な問題だろうと反発を感じたに違いない。しかし今は自分もそこそこの時間を生きてきたので、なるほどそうかも知れないと受け入れられる感じがする。実のところ、形而上的な諸々の悩みは、とりあえず自分の中でそれなりに「解決」あるいは「納得」することは、まあまあ可能ではないか、と今では思える。ところが対人関係の悩みは解決しないように見える。それこそ「他者は変えられない」のだから、にっちもさっちもいかないところがある。そういう意味で、対人関係の悩みというのは結構深刻なのだと思う。

とにかく人間は社会の中で生きる。そして、社会の中で他者と関わりながら自分の望むように生きていくためには、要するに幸せになるには、どうすればいいのか。という問題認識において、アドラー心理学は実践的な意味を持つんだろうと思う。

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2016年7月14日 (木)

今上天皇、生前退位の意向

このブログで2009年1月末にメモしたことを再掲する。
(引用始め)
昨日30日付日経新聞で目に付いた一文。
「天皇という職務に定年はない」
言われてみれば、そっかー、天皇って結構大変だよなーと思った。

件の記事は、天皇陛下の公務等の負担軽減策発表(29日、宮内庁)を受けた解説で、引用した冒頭の文に続けて、「憲法で定められた国事行為や慣例となった重要行事などは、天皇が高齢になったからといって簡単に削減することはできない」、とある。

とりあえず『天皇陛下の全仕事』(山本雅人・著、講談社現代新書)を参考にメモ。
天皇の行為は「国事行為」「公的行為」「その他の行為」に分かれる。
国事行為は憲法6条、7条、4条第2項に規定される首相任命、法律などの公布、国会召集、大臣らの任免など。
公的行為は、外国訪問、地方訪問、拝謁、一般参賀、園遊会、賓客接待など。
平成16年の行事710件を、仕事の性質で分けると、「人と会う」53%、「事務処理」14%、「儀式・式典出席など」11%。
外国関係の仕事は24%を占める。また、行事の場所としては皇居内が8割以上と。

否応無く「生涯現役」状態なのだが、逆に言うと、極端な話、介助やら介護やらを必要とする状態になっても仕事しなきゃいけないのか、という感じで、事実上の引退の道もありにしないと、何だか非人間的な扱いじゃないかなと思ったり。

一時期、「女帝」問題で皇室典範改正の動きがあったけど、「天皇の退位」も皇室典範に拠るということなので、今度はそこんとこ改正とかどうでしょう。天皇にも自分から退位する自由がないとまずいんじゃないのかねえ。
(引用終わり)

・・・ということで、今回の天皇「引退」報道、自分的にはそんなに驚くこともなく。

しかし、とうとう浩宮が天皇になるのか。浩宮と学年の同じ自分には、ついにその時が来たのかという感慨がある。

ついでにいえば、改憲するなら天皇の位置付けも再考の余地あり、だな。戦後すぐなら国民統合の「象徴」も、まだリアリティがあったのかも知れないが、浩宮が「象徴」と言われても、個人的にはよく分からんって感じだし。

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2016年7月13日 (水)

ガバナンス「改革」に異議あり

日本の企業統治指針に異議を唱えるのは、東レ社長の目覚昭広氏。本日付日経新聞のインタビュー記事(揺れる企業統治)からメモする。

「企業統治は経営者の倫理観だけの問題だ。指針は企業価値を上げるために、投資家が経営者にリスクをとって経営するよう監視しなさい、とうたっているが、全く間違っている。指針は企業経営の経験がなく、経営を知らない頭でっかちな有識者が作ったものだ」

「指針は企業価値を、時価総額や自己資本利益率(ROE)で定義している。時価総額はある種の人気投票だ。もっと地域社会や環境保全への貢献度合い、従業員の待遇も考慮して企業価値を考えるべきだ」

「(社外取締役を増やすことは)米国型の企業統治の形をまねをしてるだけで、日米間の社会の本質が違うことを理解していない。米国は金融資本主義で、時価総額や株価を上げることを目的化している」

「リスクをとって経営するのは、渡り鳥のように会社を渡り歩く『プロ経営者』と呼ばれるような人たちだ。本当のプロ経営者とは、現場を知り尽くした社長や最高経営責任者(CEO)を呼ぶものであって、渡り鳥経営者のことではない」

・・・まさに株主資本主義を培地とする米国流企業統治への異議申し立て。思えば、「現場主義」こそは「日本的経営」の別名でもあった。

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2016年7月12日 (火)

16世紀という転換期

今週の「週刊ダイヤモンド」(7/16号)の特集は「大経済史」。現在は、16世紀以来の大きな歴史的転換期にある、という。記事からメモする。

『資本主義の終焉と歴史の危機』を執筆した法政大学教授の水野和夫氏は、16世紀の大転換と同じことが今、起こっていると説く。
具体的には、16世紀に中世封建システムから近代資本主義システムへの転換が起こった。歴史家フェルナン・ブローデルはこの転換期を「長い16世紀」と呼んだ。

16世紀に経済の覇権を握っていたイタリア・ジェノバでは金や銀があふれ返っていた。あまりにだぶついたマネーは次の投資先を求めてさまよい、このことが次の覇権国家を生み、世界のシステムを変えた。
英国が全世界の海洋を支配すると、16~17世紀の資本家たちは、投資先をオランダと英国に変えた。この動きが資本主義の誕生へとつながっていったのだ。

こうした経済の仕組みのみならず、国家という枠組み、新たな宗教の波など、その後に生まれるこれら全てのための、16世紀は長い苦しみの世紀だった。

その到達点ともいえるのが、1648年に結ばれた、ウェストファリア条約だ。この条約は、マルティン・ルターの宗教改革に端を発し、1618年に起こったカトリックとプロテスタントの「三十年戦争」を終結させた条約だ。

作家の佐藤優氏は「私たちはいまなお、ウェストファリア条約で形成された近代システムの延長を生きている」と著書『世界史の極意』で述べる。というのも、ウェストファリア条約により、欧州ではそれぞれの国が内政権と外交権を有する主権国家体制が確立されたからだ。この条約こそが「まさに中世と近代を画する結節点となった」のだ。

・・・資本主義と近代国家を両輪とする近代システムの基礎が形作られた16世紀。およそ500年を経過して、そのシステムの終わりが近づいているのか。そうだとしても、新しいシステムの姿はいまだ見えない。

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2016年7月10日 (日)

ウルトラマン放送開始50年

今から50年前の昭和41年(1966)7月10日、TBSで「ウルトラマン前夜祭」として、第1話の放送に先立ち杉並公会堂で行われた番組PRイベントの模様が放映された。ということで、50周年記念イベント「ウルトラマンの日 in 杉並公会堂」が昨日今日と二日間の開催。どんな感じになっているのかなあと、現地に足を運んでみた。

有料イベントに参加する程の熱意もないので(苦笑)、とりあえずグッズ販売のスペースを覗いてみたのだが、まあ盛況のひとこと。老いも若きも男も女も相集う状況を目のあたりにして、本当にウルトラマンは国民的ヒーローなのだなという認識を新たにした。

Photo_2会場には歴代ウルトラマンが勢ぞろい。しかしウルトラマンって、こんなにいたんだなあ。真ん中の空いたスペースに、希望者が入って記念写真を取るサービスをやっていたのだが、順番待ちの人たちの列が出来て、途切れることなく写真撮影が続いていた。

50年前の小学1年生である自分は、いわばウルトラの「第1期生」。そんな自分にとってのウルトラマンとは、マンとセブン、それと帰ってきたウルトラマンまでかなあ。という感じなので、こんなに大量のウルトラマンを見せられても途方に暮れるしかない。(苦笑)

それに正直言えば、俺はウルトラマンより怪獣が好きなんだ! そして怪獣と呼べるものは、成田亨デザイン、高山良策造形の怪獣だけだ! という思いに凝り固まってしまっている。(苦笑)

それにしても50年か・・・。一口に50年と言っても、長い長い年月であることは間違いない。何年か前にNHK「歴史秘話ヒストリア」で、ウルトラマンに深く関わった伝説的脚本家、金城哲夫が取り上げられた時も感じたが、ウルトラマンももはや「歴史的」な存在になりつつあるなと。そして自分も、その歴史を生きていたのだと思うと何とも不思議な心持ちになる。

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2016年7月 7日 (木)

下蒲刈島の文化的取り組み

今日の日経新聞「広島経済特集」の紙面、下蒲刈島の蘭島閣美術館の写真が目に付いて、去年の秋にこの場所に行ったものだから「へぇ~」って感じがした。

記事によると何でも、下蒲刈島から東に向かって上蒲刈島、豊島、大崎下島、平羅島、中ノ島、岡村島に至る7つの島が橋で結ばれており、地元では7つの島の周遊ルートを「とびしま海道」と名付けて、共同でウオーキングやサイクリングなどのイベントを企画しているとのこと。

2_4自分が下蒲刈を訪ねた時の目当てだった「朝鮮通信使」行列(写真、背景の建物が蘭島閣美術館)については紹介されていない(ちょっとマイナーなイベントだからかな)けど、日経記事から下蒲刈島の文化的な取り組みについて、以下にメモする。

下蒲刈島では1991年から、旧下蒲刈町(現呉市、03年に合併)が「ガーデンアイランド構想」を推進。町の活性化のために文化と歴史の掘り起こしが重要と考え、島全体を庭園に見立てた施設整備に乗り出した。目抜き通りに石畳を敷き、山口県や富山県にあった築100~200年の旧家を移築して歴史資料館にした。
そのうちの一つ、蘭島閣美術館では毎月「ギャラリーコンサート」を開催。NHK交響楽団やウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏者が出演するなど、出演者の知名度や質の高さで音楽ファンに注目されるイベントになっている。一連の取り組みが評価され、同島は昨年「サントリー地域文化賞」を受賞するに至った。

・・・このほか、記事によれば大崎下島・御手洗地区の伝統的町並みも観光客を集めているとのことで、またここら辺の島々を訪ねる機会を作ってみようかなと思ったりする。

ところで、瀬戸内海県民は太平洋や日本海は波が高くて怖いと感じるそうだ。最近の「ケンミンショー」でやってた。太平洋となると、何にもなくて水平線が見えるのが不安になるとか。その感覚は自分も何となく共有できる。東京生まれ・育ちの自分も、大小の島々の浮かぶ穏やかな瀬戸内海を見ると、なぜか「懐かしい」と感じてしまう。その昔、「瀬戸の花嫁」という歌が大ヒットしたのも、分かるような気がするのだ。

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2016年7月 6日 (水)

改憲して参議院廃止。とか。

今回の参院選で改憲勢力が3分の2を超すと、衆院ともども憲法改正を発議できるようになる。しかし「憲法論争が、足りない。『9条』に限らない」と危惧するのは、本日付日経新聞市況欄コラム「大機小機」(「参院選と憲法」もっと語れ)。以下にメモする。

(参議院を形容するのに)「再考の府」や「良識の府」があてはまったのは、無所属議員で結成した院内会派「緑風会」が多数派だった、戦後も初期のころだ。政党化が進んで、多数派が衆院と同じだと、衆院の「カーボンコピー」、多数派が異なる〝ねじれ〟だと、政権を揺すぶる「政局の府」となってきた。 

第二院の参院が衆院とほぼ同等の権能を持つことが問題の根源で、「同じものが2つ」を突き詰めると、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」という憲法43条の適否にも行き着く。

主要先進国では、イタリアも両院の権限が対等で、日伊両国は、首相がひんぱんに替わることで知られている。そのイタリアは、上院の権限、議員数を大幅に削る憲法改正案を、10月に国民投票にかけるという。 

望ましい二院制、とりわけ参院のあり方を論じるのに参院選は得難い機会なのに、与野党とも語らない。

・・・憲法改正すなわち9条というのは、何だかなぁ~という感じ。憲法を改正して参議院を廃止してもらいたい。と、個人的には思う。少なくとも憲法改正の発議くらいできるようにしておいてもよいだろうという感じはある。決着は国民投票なんだし。でも最近イギリスのEU離脱決定以来、国民投票の評判はあんまりよろしくないけどね。(苦笑)

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