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2016年5月26日 (木)

「超解説」カントとヘーゲル

近頃、分かりやすさを謳う類の「世界史本」がいろいろ出ている。その書き手として名前を多く目にするのは祝田秀全、関真興、茂木誠といった、予備校講師の経歴を持つ先生方だ。歴史の流れを整理してストーリー化する、その語り口が巧みなのは、さすがだなと思っていたら、今度は予備校で「倫理」科目を教える先生の書いた「分かりやすい」思想の本が出た。『世界を動かす「宗教」と「思想」が2時間でわかる』(蔭山克秀・著、青春新書)から、カントとヘーゲルの解説をメモしてみる。

ドイツ観念論といえばカントだ。カントは人間の理性を、自然科学を扱う「理論理性」と道徳や哲学を扱う「実践理性」とに分けた。カントは、自分のめざすよりよい世界を「道徳的な世界」と考え、そういう世界をめざす意志を「善意志」と呼んだ。そして実践理性とは、その善意志に対して、道徳的な命令を発する理性のことだ。
みんなが自由に自らの実践理性の道徳命令に従って動
くことができるようになれば、そこには理想の道徳社会が実現するはずだ。これがカントのめざした「目的の王国」だ。
しかしよくよく考えたら、カント哲学はキリスト教となじみやすいな。「神=実践理性/神の国=目的の王国/神の声=定言命法」と考えれば、カント哲学はほぼ「別表現でのキリスト教」だ。

ヘーゲルといえば「絶対精神」と「弁証法」だ。
絶対精神とは自由を本質とする神のような存在で、ヘーゲルはその絶対精神が人間(特に歴史上の「英雄」たち)を操ることで、世の中に自由と合理性が拡大し、社会や歴史は発展すると考えた。
そして、その絶対精神の運動法則にあたるものが「弁証法」だ。
じゃ弁証法とは何かというと、それはズバリ「対立」だ。もっとちゃんと言うと、あるもの(テーゼ)と別のもの(アンチテーゼ)が対立することで、よりよいもの(ジンテーゼ)をつくり出すという運動だ。
社会や歴史も、ルネサンスや市民革命といった〝対立〟があったからこそ発展し、その結果、世の中の自由と合理性が拡大した。これは自由を本質とする「絶対精神の自己実現」ともいえるし、社会や歴史の弁証法的発展ともいえることなんだ。

・・・カントの「実践理性」にしても、ヘーゲルの「絶対精神」にしても、良くも悪くも何となく「神」って感じだよなあ。キリスト教文化の中のヨーロッパ哲学は、そう簡単には「神」と縁を切れなかったものと見える。

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