石川数正の「出奔」
石川数正というと、松本城を築いた人。であることが、自分にはとりあえず思い出されるわけだが、この数正、もともと徳川家康の家臣だったものが、あるとき徳川を捨てて羽柴秀吉の下に走っちゃった人でもある。ということを、竹橋の国立公文書館で開催中の特別展「徳川家康」の展示、さらに先日の大河ドラマ「真田丸」を見て、よくよく認識することになった。
石川数正の出奔は、小牧・長久手の戦いの後、秀吉が家康を何とか臣従させようと外交攻勢をかけていた時期の出来事で、数正は秀吉に取り込まれたとの見方がある一方、何らかの理由で徳川家中における数正の地位が脅かされていたのではないか、といった見方もある。
家康に重用されていた数正は徳川家の軍制にも通じていた。いわば「企業秘密」を握る人物が出奔してしまった痛手は大きく、この後徳川の軍制は武田流に改められたと言われるほどである。
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