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2016年3月 6日 (日)

「させていただく」の由来

最近割とよく聞く、何々させていただく、という言い方には、それなりの由来はあるらしい。司馬遼太郎の約30年前の文章(『司馬遼太郎『街道をゆく』近江散歩(用語解説・詳細地図付き)』)から以下にメモしてみる。

日本語には、させて頂きます、というふしぎな語法がある。

この語法は上方から出た。ちかごろは東京弁にも入りこんで、標準語を混乱(?)させている。「それでは帰らせて頂きます」。「あすとりに来させて頂きます」。「そういうわけで、御社に受験させて頂きました」。「はい、おかげ様で、元気に暮らさせて頂いております」。

この語法は、浄土真宗(真宗・門徒・本願寺)の教義上から出たもので、他宗には、思想としても、言いまわしとしても無い。真宗においては、すべて阿弥陀如来―他力―によって生かしていただいている。三度の食事も、阿弥陀如来のお蔭でおいしくいただき、家族もろとも息災に過ごさせていただき、ときにはお寺で本山からの説教師の説教を聞かせていただき、途中、用があって帰らせていただき、夜は九時に寝かせていただく。この語法は、絶対他力を想定してしか成立しない。それによって「お蔭」が成立し、「お蔭」という観念があればこそ、「地下鉄で虎ノ門までゆかせて頂きました」などと言う。相手の銭で乗ったわけではない。自分の足と銭で地下鉄に乗ったのに、「頂きました」などというのは、他力への信仰が存在するためである。もっともいまは語法だけになっている。

・・・さすがに今は他力本願の教義は意識されていないにせよ、「させて頂く」、とりあえず「お蔭様で」の意味を含んだ言い回しとして多用されていると思われる。しかし何でもかんでも「させて頂く」を使われると、それも何だか違和感あるけどね。

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