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2016年3月28日 (月)

デカルト的「精神」は近代的「魂」

哲学のメガネ』(三好由紀彦・著、河出書房新社)第3章「死を経験したものは誰もいない?」からメモする。

デカルトは、「私は考える、ゆえに私はある」という命題の完全性、絶対性はどこから由来するのかを引き続き探求しようとする。デカルトは次のように語る。

当の観念は、私よりも完全でかつ私が考えうるあらゆる完全性をみずからのうちにもつところの存在者、すなわちひとことでいえば、神であるところの存在者、によって、私のうちにおかれたものである、というほかはなかった。(「方法序説」)

デカルトは、この「われ思う、ゆえにわれあり」の根拠をけっきょくはキリスト教の神、すなわち死後の世界の神に求めざるを得なかった。ゆえに彼にとって「われ=精神」とはあくまでも「死後の経験=霊魂」と同じものだったのである。

デカルトは人間的自我を目覚めさせ、近代哲学の扉を開けたものとされているが、その物心二元論によってむしろキリスト教的世界観は強化され、また彼の自我の背後には神がしっかりと仕込まれていたのである。

・・・デカルト的物心二元論における実体とは、精神と物体である。人間の理性は神の理性の分有であるならば、理性を持つ精神は、「魂」の近代バージョンと思えばいいんだろうな。

正直なところ「我思う故に我在り」というフレーズ、どうもこれだけでは分かるような分からんような、と昔から感じていた。近頃思うのは、哲学も歴史的産物というか、時代背景も見た方がいいな、ということ。西洋哲学はやはりキリスト教的な思考のバイアスがかかっているわけだし、デカルトが生きていたのは三十年戦争の時代。宗教分裂により混乱する社会の中で、確実なものを求めたデカルトは「我思う故に我在り」に辿り着いた。ということなんだろう。

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2016年3月27日 (日)

「神」は実在か現象か

佐藤優さん、神は本当に存在するのですか?』(文藝春秋)は、竹内久美子と佐藤優の対談本。竹内が動物行動学、佐藤が神学と、二人の知識と思考のベースはかけ離れている印象だが、それでも対談本が出来ちゃうんだなあ。書名となっている問いかけに対する答えと思われる部分を以下にメモ。

竹内 進化論は、決して「どんどんよくなる」という意味ではなく、「そのときどきに対応していく」という意味なんですが、ともかくそうすると、進化論というか動物行動学は、経済学や政治思想なんかにも重なる部分があるということになりますね?

佐藤 そのとおりです。だから、そういった分野だけでなく、自然科学も哲学も宗教学も、あらゆる学問を横断的に見てみると、ひとつの現象のいろんな姿が見えてくるはずなんです。たとえば「神」という現象ひとつ取っても、自然科学者からはこう見える、数学者からはこう見える、神学者からはこう見える・・・・・・そこに面白いものが必ず生まれると思うんです。
その意味では、「神は存在するか」といえば存在するんです。地獄はあるかといえばあるんです。イメージを持つことがある以上、イメージした人にとっては、それはあるんです。客観的な実在としてあるかどうかは別として。

竹内 やっぱりそう来ましたか(笑)。

・・・佐藤氏はクリスチャンであるからもちろん神を信じていると思われるけど、その一方で、昔の素朴な人間とは違う近代人であり、諸事全般を学び続けてきた知識人であるから、神は実在するとは断言しづらいだろうな。

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2016年3月26日 (土)

ホッパー「ナイトホークス」

今夜の「美の巨人たち」(テレビ東京)は、アメリカの画家エドワード・ホッパーの最高傑作とも言われる「ナイトホークス」(夜更かしをする人たち)を取り上げていた。

「新説」らしき話として、ゴッホの「夜のカフェ」をテーマとした作品に触発された可能性を紹介していたが、そう聞いても「ふ~ん」程度の反応しか出てこない感じ。

Photoあと、絵の中の「ダイナー」(軽食堂)で時間を潰す人たちの中の、一人でいる男性は、画家自身の後ろ姿の自画像ではないか、という指摘もあった。それはまあそうかな、と思えるけど、それ以上は特にどうこうないって感じで、もうちょっと変わった話、感心する話が聞きたかったな。

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2016年3月22日 (火)

「回天」基地の島

年度末。まず休暇の消化を決めて、さて何をするかと考えた。で、前から何となく気になっていた場所に行ってみるかと、瀬戸内海の大津島(おおづしま)にある回天記念館を訪ねた。

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太平洋戦争末期の特攻兵器である人間魚雷「回天」。大津島は、その訓練基地のあった場所。徳山駅前のフェリー乗り場から船に乗って、大津島の「馬島」まで40分(直行便なら20分)で到着。そこから10分程歩いた高台に回天記念館がある。建物の入り口横には、回天の模型が展示されている。全長約15メートル、直径1メートル。「人間魚雷」回天、その姿はとりあえず一人乗り型の潜水艦というところ。

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大津島の海岸に残るこの構築物は、もともとは九三式魚雷の発射試験場として昭和14年に作られた施設。回天が九三式魚雷をベースに開発されたこともあり、この施設を利用して回天の操縦訓練が行われ、島に基地も建設されたということである。

ここに来るまでの自分の回天に対するイメージは、敗色濃厚な戦争末期に現われた苦し紛れの兵器というものだったが、記念館の展示を見ると、かなり大規模な組織的プロジェクトだったんだなあとちょっとびっくり。回天の基地は大津島の他に山口県の光(ひかり)と平生(ひらお)、大分県の大神(おおが)の合計4ヵ所あり、いずれも工場や兵舎などの施設が整えられていた。全国から集められた志願兵約1,400名は、昭和19年9月から「新兵器」の運用をマスターする特訓開始。一日のカリキュラムを見ると、予定がびっしりなのにまた驚く。訓練中の事故死もあったとのことだが、とにかく2ヵ月の猛訓練を経て11月から実戦に投入。翌年昭和20年8月までの出撃回数は約30回。大型潜水艦に目標近くまで運ばれる形で出撃するのだが、諸々の条件や事態に左右されて、攻撃にまで至らず帰還する場合もあり、空母や戦艦など大物の敵艦を沈めたという戦果は皆無。やはり相当運用の難しい兵器だったのは否めない感じだ。なお回天に係わる戦没者は搭乗員に整備員他も含めて145名、没時平均年齢21.1歳とのこと。

強い使命感があれば、人は死ねるのかも知れない。あるいは、死を納得するために使命感を湧き立たせるのか。そこは分からないにしても、戦争についていつも思うのは、時代が違えば人の運命は恐ろしい程に違うという残酷な現実だ。

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2016年3月 6日 (日)

「させていただく」の由来

最近割とよく聞く、何々させていただく、という言い方には、それなりの由来はあるらしい。司馬遼太郎の約30年前の文章(『司馬遼太郎『街道をゆく』近江散歩(用語解説・詳細地図付き)』)から以下にメモしてみる。

日本語には、させて頂きます、というふしぎな語法がある。

この語法は上方から出た。ちかごろは東京弁にも入りこんで、標準語を混乱(?)させている。「それでは帰らせて頂きます」。「あすとりに来させて頂きます」。「そういうわけで、御社に受験させて頂きました」。「はい、おかげ様で、元気に暮らさせて頂いております」。

この語法は、浄土真宗(真宗・門徒・本願寺)の教義上から出たもので、他宗には、思想としても、言いまわしとしても無い。真宗においては、すべて阿弥陀如来―他力―によって生かしていただいている。三度の食事も、阿弥陀如来のお蔭でおいしくいただき、家族もろとも息災に過ごさせていただき、ときにはお寺で本山からの説教師の説教を聞かせていただき、途中、用があって帰らせていただき、夜は九時に寝かせていただく。この語法は、絶対他力を想定してしか成立しない。それによって「お蔭」が成立し、「お蔭」という観念があればこそ、「地下鉄で虎ノ門までゆかせて頂きました」などと言う。相手の銭で乗ったわけではない。自分の足と銭で地下鉄に乗ったのに、「頂きました」などというのは、他力への信仰が存在するためである。もっともいまは語法だけになっている。

・・・さすがに今は他力本願の教義は意識されていないにせよ、「させて頂く」、とりあえず「お蔭様で」の意味を含んだ言い回しとして多用されていると思われる。しかし何でもかんでも「させて頂く」を使われると、それも何だか違和感あるけどね。

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