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2015年12月30日 (水)

学問は終わってる

確かに、人文社会系の学問って使えないというか終わってる感じだ・・・『使える哲学』(古田博司・著、ディスカヴァー・トゥエンティワン発行)からメモ。

たとえば、現在「使えない学問」の例をあげるとすれば、フランス語やドイツ語だと私は思います。フランスやドイツから、今や思想も文学も来ないからです。
法学はもう研究の段階を終えて、実学になってしまった。
経済学は、既に工学の分野の学問になったといっていいでしょう。
社会学も行き詰っています。
文化人類学も今ではもう見る影もありません。

先ごろ話題になった、文科省が廃止に言及した人文系学部の見直しについても基本的には結構なことだと思っています。
今を説明できない学問は、もうやめたほうがいい。今を説明できるのだったら、歴史学でも社会学でも何でも続ければいいのです。
どんな学問であっても「すぐには役に立たないが、教養として必要だ」という考え方は意味がないと思います。

かつての近代という時代には、学問を研究することによって普遍的な知に到達できるはずだと、みんな思っていたわけです。でも、そんなことはもうないということに誰もが気づいてしまいました。インターネットにおける情報の集合体のほうがずっと有用性がありますから。

・・・大学から人文系学部が消えると聞いて、実学重視の流れがとうとうそこまで来ましたかという思いがした。世の中的には「教養の復権」みたいな話も一部にはある。けど、それも「ビジネスに役立つ」的な文脈で語られたりするので、こうなるともはや人文・社会科学系の知識は基本的に不要というか、それだけでは存在意義を認められない感じだ。もっと言えば、学問では現実を認識できない(今を説明できない)ということかと。

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