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2015年12月 6日 (日)

サラエボ包囲の記憶

12月2日付日経新聞文化面「ボスニア紛争160字の記憶」を見て、執筆者であるサラエボ出身の作家ヤスミンコ・ハリロビッチ氏の『ぼくたちは戦場で育った』(集英社インターナショナル)を読んだ。同書には、ジャーナリストの千田善氏による解説「ユーゴスラビア紛争について」「サラエボ包囲戦」があるので以下にメモ。

ボスニア・ヘルツェゴビナをふくむ旧ユーゴスラビアは、かつては多くの民族が共存する連邦国家だったが、現在では7つの独立国にわかれている(①セルビア②クロアチア③スロベニア④ボスニア・ヘルツェゴビナ⑤マケドニア⑥モンテネグロ⑦コソボ)。
国が独立したり分裂することはめずらしくない。しかし、旧ユーゴスラビアの場合は不幸なことに、話し合いではなく戦争になった。そこでは10数万~20万人が殺され、400万人以上が故郷を追われた。

スロベニア戦争(別名10日間戦争)1991年6月~7月(死者100人未満)
クロアチア戦争(第1次)1991年、(第2次)1995年(死者2万数千人)
ボスニア戦争(ボスニア分割戦争)1992年~1995年(死者10万~20万人)
コソボ紛争1996年ころ~1999年(死者2万人弱)
マケドニア紛争1999年~2001年(死者約250人)

戦争の目標は「領土拡大」。それが一番わかりやすいからだ。
ボスニアが1992年3月に独立宣言した直後、セルビアが東から、クロアチアが西から国境を越えて攻め込んだ。両国は「ボスニアの山分け(領土分割)」の密約を結んでいたのだ。

サラエボのまわりをかこむ丘の上から、セルビア民族主義の武装勢力が銃や大砲を町の中に撃ち込んだ。
「サラエボ包囲」1992年4月から1996年2月までの1,425日間。世界史上もっとも長い包囲戦だ。
足かけ4年のあいだ、サラエボでは11,000人以上が殺された。そのうち子どもは1,600人。

・・・この本のメインの内容は、戦時下のサラエボで子供時代を過ごした約1,000人の回想メッセージ。そこで語られる記憶は地下室、配給食糧、水運び、停電・・・窮乏生活に耐えるだけでなく、砲撃や銃撃など生命の危険に晒されるままの日常。その中で友だちとの絆や初恋が生まれ・・・愛する人の死を経験する。戦争が自分たちをいきなり大人にしてしまった・・・そんな思いの込められたいくつかのメッセージが心に沁みた。

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